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2006年12月の26件の記事

2006年12月31日 (日)

最悪のことが近づく気配

「ノンちゃん、正夫さんが入院してん」

宮ちゃんの電話は、いつも私を驚かせる。

「もうダメかもしれへんねん」

どういうこと? 胃がんが再発したってこと?

そして、こんなことも言った。

「私の方が先になると思うとったのに」

ど、どういうことなんよ!

会って話さないと詳しいことはわからない。

いや~な胸騒ぎがした。 

とにかく、急いで宮ちゃんのアパートに行った。

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やっぱり、そうか!

私の勘は当たっていた。

彼女と正夫さんは、いっしょに住んでいた。

といっても、奥さんがいる彼氏だから、夜おそくには帰るらしいけど。

彼は胃がんである。この前、会った時はぜんぜんそんな風には見えなかった。

まったく普通の健康体に見えた。

思い出を作るために、土・日は小旅行に出かけるのだという。

そして、写真をいっぱい写すらしい。

宮ちゃんからの電話は楽しそうだった。

奥さんに見つかっていないのかなあ。

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2006年12月30日 (土)

気持ちはわかったよ!

たしかに宮ちゃんの腸は短くなっていた。

といっても、実際に見たわけじゃない。

食事の量が普通の人の3分の1程しか食べられなかった。

どうしても病名を教えてくれない宮ちゃん。

なんと! 恋愛相手の正夫さんも同席した。

奥さんはいるけれど、気持ちは宮ちゃんにいっているという。

二人を並べてみると、とてもお似合いカップル。

いずれは離婚して、彼女と結婚したいそうだ。

やさしそうな彼氏だった。

「気持ちはわかったよ!」 そういって、私たちは別れた。

あれ? あの二人は同じ方向に行くやんか!

もしかして・・・という勘ぐりはあったけれど、「まさかね~」 あとは宮ちゃんからの連絡を待つのみ・・・。

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宮ちゃんの恋は・・・

連絡がとれない、と心配していたある日のこと。

宮ちゃんから手紙が届いた。なんと、便箋に8枚も書いてある。

ただ今、恋愛中!らしい。

しかし、相手は子供こそいないが、奥さんがいるという。

どこで知り合ったの?  病院で・・・入院中にその人も入院していたらしい。

宮ちゃん、どうしたの?  ちょっと、腸が悪くて短く切ったんや。

病気のことは何かわからないけれど、今が元気ならそれでいいけどね。

でも、その恋はまずいんとちがう?

彼氏(正夫さんという)は、胃がんで手術して入院していたそうだ。

連絡がとれないわけはわかったけれど、詳しいことは今度会って話そうよ。

長い間、恋愛に縁がなかったのに、今度はややこしい人を好きになってしまって、宮ちゃん、どうするのよ。

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2006年12月29日 (金)

宮ちゃんも辞めたんだって!

私より2ヶ月遅れて宮ちゃんも会社を辞めた。

もうひとり入社するのを待っていたら遅くなったそうだ。

仕事の引継ぎもしなければいけないし、そこのところは宮ちゃんは大人だわ!

新しい会社は建設業で、宮ちゃんは事務員になるらしい。

「私、和文タイプしかできないけど大丈夫かな~」と不安なことを言っていた。

夕食時間に待ち合わせをして、お互いの情報交換をしていたが、だんだんと連絡が途絶えるようになった。

連絡がないのは心配ないってこと・・・と思うのは間違っていた。

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2006年12月28日 (木)

毎日が英語!

さすがに「英文タイピスト募集!」だけあって、毎日が英語の文章だった。

指先が痛くなるほどの仕事の量だった。

でも、楽しかった。 お客さんに外国人が多いのも嬉しい。

たまに、買い物につきあったりした。

意外に、外国のお客さんの方が日本語がうまいのだ。

いつもの仕事仲間というわけで、日本語がペラペラに近かった。

だから、一緒にデパートまわりをしても苦にならなかった。

いまでも覚えているのは、台湾のお客さんがホッカイロをたくさん買ったこと。

台湾にはないのかしら?と思ったほどの買いっぷりだった。

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2006年12月27日 (水)

今度の会社は・・・

私って、探すのも早いし、決めるのも早い。

今度の会社は、ハードウェアーを世界に輸出している会社だ。

たとえば、「ちょうつがい」や「ドア・ノブ」などの金属製の小物を外国に売っているのだ。

仕切りも何もなくて、今までのタイプ室とは大違い!

みんなの視線を背中で感じるような仕事場だった。

英文タイプは、手動式と電動式があった。

私は、手動式を選んだ。 電動式のタイプライターは、私の指先の力で、JJJJ・・・とひとりで勝手に動いてしまって打てなかった。

まあ、いいや。 遅れている、と思われても得意な方で仕事ができれば楽だわ。

というわけで、念願の英文タイプのみの仕事が見つかったということだ。

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2006年12月26日 (火)

「したいことが他にあるの」

「宮ちゃん、私、したいことが他にあんねん」

「ノンちゃんもか? 私もや」

会社の人事異動が噂されるようになっていた。

7人いる電話交換手が全員、移動になりそうなのだ。

これから電話が直通でつながるようになるらしい。

電話交換手はみんな怒っていた。倉庫やセールスにまわされるようだ。

タイピストだってあやしいもんだ。

これからは手動から電動に変わるかもしれない。

私たちは、まだ発表になっていない人事を心配していた。

とにかく、二人が一度に辞めるのは無理だから、一人ずつ順番に辞めようということにした。 私が先に辞める。その後、宮ちゃんが辞める。

私は、今度は英文タイプのみをやってみたい!

さっそく職場を探すことにした。

あるわ! あるわ!! 

英文タイピスト募集がたくさんあるではないか。

週休2日制で残業無しのいい条件の会社が私を呼んでいる。

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2006年12月25日 (月)

運が良ければね!

30センチはあまりにも小さすぎる。

宮ちゃんの手編みのセーターも、私のコサージュも重ねるようにして置いた。

実際、重ねて置かないと場所がない。

まあ、運が良ければ売れるだろう。

どうせ、会社への通り道にあるビルだから、毎日のようにして見に行った。

「品物を補充する」のならいいのだが、「見に行く」だけだから結果は見えているということだ。 これも、やはり会社の同僚が仁義で買ってくれた。
これじゃ意味ないじゃん。

残りは後2日。 もうどうでもいいや! 二人に力がなかったってことだ。

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2006年12月24日 (日)

また売ってみる?

「ノンちゃん、いい話があんねん」

宮ちゃんは、会社で会うとすぐに言った。

どうも、今度は30センチ角の箱が売り場らしい。

箱の大きさも、値段によって違うみたいだ。30センチ四方が一番小さくて安いという。

ある会社の1階の1室に売り場があるという。

仕事が終わってから、二人で行ってみた。

ガラス製の箱が、本棚のように積み重ねてある。

期限は1週間で値段は2000円。

また売ってみるか、とさっそく契約をした。

小さすぎるかと思ったけれど、一応、売れないことも予想して30センチのを1週間借りることにした。

なんだか、前のこともあって乗り気は半分である。

でも、もしかして・・・ということもあるので、「また売ってみるか!」と気持ちは一致した。

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たった1週間で・・・

3日坊主という言葉があるが、私たちの夢は1週間で消えた。

2万円のお金もご主人は受け取ってくれなかった。

きっと「すぐにやめるだろう」と思っていたのかも知れない。

だから、期限もとらずに2万円で貸してくれたのだと思う。

「こんなにいい作品なのに、なんで売れんかったんやろうね」

「値段も高いとは思われへんしね」

宮ちゃんと反省点を探しながら後片付けをした。

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2006年12月23日 (土)

売れない・・・こんなことってあり?

次の日もその次の日も売れていなかった。

かろうじて売れたのが、私が作った蘭のコサージュ1個だけ。

それも、会社の友達が買ってくれた。

友達や知り合いが義理で買うのじゃなくて、知らない人が商品を気に入って買ってくれるのがベストなのだ。

私と宮ちゃんは、だんだん口数が少なくなっていった。

ふたりとも思っていることは同じだろう。

「だめみたいやから、やめようか」

この言葉を誰から言い出すか・・・ため息をつきながら別れた。

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2006年12月22日 (金)

売れているかなあ~

私たちは、会社が終わると走るようにしてブティックへ行った。

昨日の飾りつけがそのままだった。

ちゃんと値札もつけてある。

なのに・・・売れていないのだ。

「今日は見せるだけやねんな」

宮ちゃんが言った。

「そうやね。明日は売れるやろうね」

明日に期待しながら、それぞれのアパートに帰った二人だった。

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2006年12月20日 (水)

やってみるか!

私のアートフラワーの先生がミナミでブティックを経営している。

といってもご主人が・・・だけど。

私たちの熱意とやる気を聞いて、ショーウインドーを貸してあげるというのだ。

「借り賃は?」 「2万円でいいよ」

全くのボランティアで、期限は無しだと言ってくださった。

信じられない話だが、本当のことで私と宮ちゃんはバンザイをした。

さっそく、ウインドーのマネキンに宮ちゃんが編んだセーターを着せた。

そして、私が作ったコサージュを胸に・・・ああ、なんてステキなファッションだろう。

マネキンの足元には、綺麗なお花を飾った。

私たちは、まるで1軒のお店を構えたくらいに嬉しかった。

明日はお客さんが買ってくれるかなあ。

こんなに緊張したのは久しぶりのことだった。

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2006年12月19日 (火)

何か商売しない?

「ねえ、宮ちゃん。何か商売したくない?」

「やっぱり、ノンちゃん(私のこと)もそう思うとったん?」

私たちの気持ちは同じだった。

手仕事屋みたいな雑貨屋みたいな・・・二人の作品を売りたいのだ。

場所はどうするの? 借りるのって高いやろうね。

話はとんとん拍子に進み、毎日の仕事が楽しくてしょうがない。

仕事というより、仕事の後の話が楽しいってことだ。

気が早い二人だから、売るものを整理し始めた。

宮ちゃんは、夏・冬のセーターなどの編み物がたくさんある。

それと、無地のTシャツに薔薇の花などを刺繍したものもたくさんある。

私は、アートフラワー教室の作品がある。コサージュが主で、あとは花びんに飾るお花がある。

二人の夢が実現するかのごとく、話は尽きなかった。

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2006年12月18日 (月)

半日分を1時間で・・・

宮ちゃん(これからそう呼びます)と私は、手仕事が好きという同じ趣味を持っていた。

私は、週に1度だけどお金が無いにもかかわらず「アートフラワー」を習いに通っていた。

布で作ったお花である。

材料費にかなり使うし、アイロンなどの小道具もいる。

でも、できた作品はすばらしくゴージャスで高級感にあふれているのだ。

宮ちゃんは、編み物や刺繍がとても上手だった。

私たちは、半日かかってする仕事を1時間でやり遂げた。

ムダ話を一切せず、ひたすらタイプを打つ。

仕事を終えたら、二人とも趣味の世界にはしる。

誰かが次の仕事を持ってくる時には、必ずノックをする。

それを合図に趣味の世界ともおさらばするのだ。

さっと隠して、いかにも仕事をしていたかのように装うのが常だった。

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2006年12月17日 (日)

余裕のある仕事ぶり

こんなにも契約書があるのかしら・・・と思うくらい毎日が契約書をタイプする仕事だった。

和紙を用いてカーボン紙を入れて・・・今なら考えられない方法だね。

できた契約書は、文字の打ち間違いがないか調べるのに読み上げるのだ。

人としゃべるのが嫌いでタイプの仕事を選んだようなものなのに、読み上げがあるとは知らなかった。「ピリオド」「スペースあける」「ハイフン」等など、それこそピンからキリまで調べるために読み上げる。一人が読んで、もう一人がチェックする。

タイプ室に宮さんと二人だから、いろんな話ができた。

宮さんは、手仕事がとても上手な美人女性だった。

慣れたころに「そんなに美人なのに、どうして結婚せえへんの?」と聞いたことがある。

宮さんは、25歳の時に親に反対されて結婚できなかったそうだ。

家は、京都のお寺。 宮さんはお寺のお嬢さんだったのだ。

それ以来、彼氏を忘れられないのも理由の一つだが、縁がなかったのよ、とも言っていた。あまり美人すぎて他人が入るスキがないのだ、と私は思った。

タイピストだけ別室とは良い環境だ。

私たちは、仕事に余裕をもつことをおぼえた。

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2006年12月16日 (土)

もうダメ! やっぱりダメ!!

パンの耳を20円分買ってきた。

毎月の給料が入ってこないって、こんなにも大変だったのね。

家賃の分だけは残しておかないとね。

お金にもならない原稿ばかり書いていても生活できない!

新聞の投稿にもネタが尽きた・・・というわけで、再就職の再出発だ。

今度は、和文タイプのみでタイプ室に缶詰状態だそうだ。

大手の繊維会社で、シルクに似せた生地を売り出したばかりだった。

今は、洗えるシルクが当然のようにあるけれど、当時はなかなか珍しいものだった。

大阪の中ノ島にそのビルはあった。

近くに大阪フェスティバル・ホールもある。

タイプ室は12畳ほどの大きさだった。 結局、自分にはタイプの仕事しか探せなかった。

和文タイプライターが4台も並んでいた。

いっしょに仕事をすることになった先輩の宮さんとは、その後、一生忘れられない間柄となるのだった。

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2006年12月15日 (金)

コレってお金になるかなあ?

あっ! あった!! 

きっとこれはお金になる・・・と思ったのは、切手シートだった。

前の会社の時に、記念切手が発売されるごとに買っていたのだ。

何十枚もつながっているシートのまま買っていた。

かなりの金額を使っているが、まさか元金より安くなっているとは思わなかった。

「売ります・買います」のお店に持っていって驚いた。

たとえば、1000円が800円程になるということだ。信じられる?

私は信じられないよ。 一度、触ったからといっても綺麗なままなのに・・・。

まあ、お金がないのが弱み。 仕方ないけれど、思い切って全部売ってしまった。

これで当分の生活はできる予定だ。

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2006年12月14日 (木)

もしかして・・・の期待

「1次審査に合格しました」

「2次審査に残っています」

こんな通知がくるたびに、ドキドキ・ワクワクする。

もしかして、選ばれたらどうしよう。まさかの奇跡だ!

とかなんとか思いながらも着ていく服装を考えたりしている。

結局はどれもハズレ・・・どうしてだろう?

私はそのたびに反省をする。

おそらく、あと1歩のことに違いない。

もうひとつ現実味がなかったのだ。

たとえば、歴史のこととか・・・変わった内容を詳しく述べる技術が足りないとか・・・

ある小説家は、日本中いや世界中を旅している、と聞いた。

また、ある人は研究に研究を重ねている、と聞いた。

私にはそれがまだできていない!

いつまでもアルバイトと投稿ばっかりだと、お金もなくなってきた。

「お金になるものはないかなあ」と身辺を探すようになった。

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2006年12月11日 (月)

小説家になるために・・・

小説家はウソを書いてはいけない。

とことん研究して、本当のことを書かなければ読者に申し訳ない。

そう思って、沖縄を旅行した。もちろん、大学ノートとペンを持参して・・・。

私があまりにも書いてばかりいたので、「あの人は新聞記者よ、きっと」という声が聞こえてきた。

一人で夜の街も歩いてみた。沖縄の郷土料理の店にも入ってみた。

そこで感じたこと、見たことなどを詳しく書いていた。

大阪に帰って、東京と沖縄を結ぶ恋愛小説を書き始めた。

半分は本当で、半分は作り物という内容だが、スラスラと書けた。

でも、あと1歩のところでつまってしまう。物事に対する研究が足りないのだった。

一応、ひとつの応募作品ができあがった。

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2006年12月 9日 (土)

会社を辞めようかしら

いろんなことがあって、会社を辞めたくなった。

すべてをオジャンにして最初から出直したくなった。

好きな小説も書けるだろうし・・・思い立ったら、どうしようもなく辞表を書いていた。

部長は、「給料を上げるから」とか言って、私を引きとめようとしていた。

私の心は決まっていたから、いくら給料が上がっても会社にいる気はしない。

そして、ついに自由を手に入れたのだった。

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2006年12月 7日 (木)

だんだんとイヤに・・・

先輩のヨーコさんからあの話を聞いてからは、だんだんとイヤになってきた。

私は、意識して中屋さんを避けるようになってきた。

B型の特性として、嫌いになったらとことん嫌いになる。

まさにそれだった。 私が避けると向こうが近づいてくるのがわかる。

ある夜だった。 しかも深夜である。

アパートのドアをノックする人がいる。それが誰なのかはわかったが、私は開けなかった。

こんな時間にドアをノックするなんて・・・近所迷惑にも程があるわ!

ノックは次第に叩く音に変わった。

私は、耳をふさいでフトンをかぶって過ぎ去るのを待った。

今までは、「帰っている」合図に灯りがもれても平気だった。

でも、これからは違う。隙間という隙間にガムテープを貼るなりして、なんとか部屋の電気が外にもれないようにしたのだった。

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2006年12月 4日 (月)

いろんなことがあるわ・・・

あんなに一生懸命に書いていた原稿を送るところがなくなった。

発表する場を失った。

私は、また投稿マニアになってしまった。

けっこうなお金にもなるし、名前を変えて投稿するのが楽しくなっていた。

そんなある日のこと。

会社のヨーコさんが「水野さん、中屋さんと付き合うのは危ないよ」と言ってきた。

意味がわからなかったから、喫茶店に私から誘った。

どうも、前歴があるらしいのだ。

結婚しているくせに、自分に気があると思った女性をものにするクセがあるというのだ。

「水野さんは田舎出身でしょ。そんな人がいちばん危ないのよ」

ヨーコさんは続けた。

「私は、会社が長いから何人も見てきているから本当のことよ」

私は、半信半疑ながらも心当たりがあるだけにショックを受けた。

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2006年12月 2日 (土)

編集長の死

発行が遅れぎみになってきたと心配していたところ、突然知らされた「編集長の死」。

まさか! そこまで追い詰められていたとは知らなかった。

私たち会員の夢は破れた。

といっても、同人誌の中から誰ひとりプロになった人はいなかったから(現在はいるかもしれないが)最初から無理だったのね。

自分たちが作った本の中でのコンクールで1位になったって、世の中に認められたわけではないからね。

突然の編集長の死は、暗黙の了解で「細流」の分裂を意味した。

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2006年12月 1日 (金)

なんか変だぞ?

あんなに定期的に送られてきていた冊子が、なんだか間があくようになってきた。

会費はちゃんと払っているし、本が売れなくても売れたつもりで代金も送っている。

なのに、どうしたのだろう?

カラーページも少なくなってきた。

私だけではなく、会員みんな心配しているだろうなあ。

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