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2007年2月の38件の記事

2007年2月28日 (水)

息子があやしい?

あれほど「農業をする!」と言っていた長男も、だんだんとあやしくなっていった。

自分の将来に夢をもつようになったのだ。

小学生も高学年にもなると当たり前のことだが、親としてはヒヤヒヤもんだ。

家のそばにあるハウスにストックを植えた。

ストックは、ビニールハウスの外からでもいい香りがするほど芳香性の強い花である。

この香りが2階の息子の部屋まで届くように、そして気持ちがあっち方面に行かないように願いをこめた。

息子は器用だから、大工さんにあこがれていた。

そのことは私たち夫婦も知っていた。

どうなることやら・・・反抗期の男子はあやしい!

当たらず触らずにしておこうかな。

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2007年2月27日 (火)

くせになったかもね

講演の依頼も回数を重ねると、度胸がついてクセになりそう。

時間をうまく使うことにも慣れたし、何を話せばウケがいいかもわかった。

なにより、聞いている人が楽しんでいるのか、退屈しているのかがわかるようになったことがすごい。

今でも思い出すと恥ずかしいのだけど、質問コーナーで「朝市音頭を歌ってください」と言われたこと。 こうなるとわかっていたならば、ちゃんと覚えてくるべきだった。途中でわからなくなったことが悔しい。

私は、きもの教室以外では「先生」ではないのだけど、講演会の時って「先生」と呼ばれるのね。あまり嬉しくはないけど、お金が頂けるから我慢しちゃう!

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2007年2月26日 (月)

なんとか持ち時間はクリア

約束の日に約束の時間に出かけていった。

私の持ち時間は1時間30分。

私の場合、必ずと言っていいほど自己紹介には義母が出る。

「輪島朝市で朝市音頭を歌っているおばちゃんの嫁です」というぐあいだ。

私は、講演の始まり文句をずいぶん義母に助けられた。

出だしがいいと後はスンナリと進む。

私の話なんか、何の参考になるのか知らないがメモをとっている人がいたりする。

終わってみると、人前で話しをするのも悪くない、と思った。

持ち時間より少し早めに終わって、後は質問コーナーにすることも覚えた。

私って、案外目立ちたがり屋かも?

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エッ? 講演会?!

人前でしゃべるのが苦手な私に講演会の依頼がきた。

農業とは無関係の職種で、「どうして農業を選んだか?」を聞きたいらしい。

選んだ理由がそんなに聞きたい?

いや、違うだろう。 どうして、そんなにイキイキと前向きに農業ができるのかを知りたいのだろう。

私の考えは一定しているから、内容は難しくはない。

ただ、自分より年上で人生の先輩に向かって話しができるだろうか。

「ヘタですよ~」と言ってもムダだった。

押しに押されてついにOKの返事をしてしまった。

文章を書くことは好きだから・・・でも、書くのと話すのは大違い!

ああ、大変なことを引き受けてしまった。

こうなったらやるしかない。 度胸が据わった。

次の日から、講演の内容を考える仕事がまた増えた。

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2007年2月25日 (日)

強気な宮ちゃん!

最近、ずうっと調子がいい宮ちゃんは「このまま治ったらええのにね~」と言っている。

もちろん、私もそう思っている。

そしたら、こんなことを言い始めた宮ちゃん。

「私、独身やし、親兄弟からも縁切られたから・・・死ぬ時は誰にも迷惑かけたくないんや」

それは違うよ、宮ちゃん!

お母さんのお腹を借りて大きくなって、産婆さんかお医者さんの手を借りて産まれてきたのに、死ぬ時だけ迷惑かけないなんてことはできないよ。

人は人に迷惑をかけて死んでいくのよ。死んだ後にも迷惑かけてるやん?

そう言いたかったけれど、言わなかった。

その時になってみないとわからないし、本当に宮ちゃんの望むように迷惑をかけない死に方をするかも知れないから、私は黙っていた。

「ふ~ん、そうなんや」とだけ言ったけれど。

とにかく、宮ちゃんが元気で仕事ができて良かった。

人間って元気な時は強気になれるんやね。

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2007年2月24日 (土)

男の子はエライ!?

長女の二つ下に長男がいる。

男の子というだけで、まわりのみんなから「跡継ぎ」と思われている。

「跡継ぎが生まれて良かったねえ」とか「これで将来の心配はない」とか・・・。

まったく、大人の勝手で好きなことを言っている。

子供も子供で、大人を喜ばせることを本能的に知っているようだ。

「大きくなったら、キュウリやトマトを作るのか?」という質問には「ウン!」と答える。

それに輪をかけたように「ボクは大人になったら農業する」と言っている。

まだ小学生のうちに何がわかるもんか。

そう思っていても、子供から言われると親族は皆うれしいらしい。

男の子はエライなあ~!

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注目度アップ!

農業ってそんなに楽しい?

すごくイキイキとしているよ!

だんだんと私への注目度がアップしていった。

新聞にとりあげられたり、農業関係の冊子によく紹介されたりした。

そして、テレビにも・・・今でも、その時に知り合ったキャスターさんとは仲良くしてもらっている。

出会いって不思議だなあ、と思う。どこで、どんな出会いが待っているのかわからない。

この世で必要のない出会いはないという。

別れもそうだ。出会う必要があったからこそ出会い、そして、別れる必要があったから別れる。

世の中の全ての出来事は、必要があって発生することだと思う。

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2007年2月23日 (金)

副収入もゲット!

結婚前から大阪で「きもの着付け教室」に通っていた。

田舎のことだから、結婚する時には母が何枚も着物をもたせてくれた。

私がいない間に、父親に内緒でたくさんの着物を作ってくれていた。

「着物の5・6枚もあるんか?」の父の問いかけで内緒にしていたのがわかった。

母は勤め人だったから給料が入ったからだけど、それにしても着物って高額なのによく作ることができたものだと思った。作っても支払いがバカにならないだろうに・・・。

その着物たちを、タンスの肥やしにしたくなかったのである。

結婚してから、私のわがままできもの着付け教室に通わせてもらった。

2年間ほどで師範の資格がとれて、教室を開くまでになった。

後追いする子供たちを、夫にひっぱってもらってお稽古に通った。

どんな習い事でもそうだが、これで終了ということがないのである。

それほど奥が深いものだということである。

趣味と実益をかねて、副収入ゲット!

私は、出張着付きもの教室を開くことにした。

人に教えるには和室も必要だ。

またまた、私のために納屋の2階を和室二部屋に改造した。

平成元年が副業のスタートであった。

わがままな嫁でごめんなさ~い!ってとこかな。

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2007年2月22日 (木)

はばたいているね!

私がイキイキと楽しく農業をしているのが、手紙や電話でわかるのだろう。

東京や大阪の友達がみんな言ってくれる。

あんなに農業を嫌っていたのに、あれは食わず嫌いだったのね。

実際にやってみると、思っていたこととは違うのに驚く。

農業は自由業だ! 好きな時間に好きなことができる。

アイデア次第で収入はどんどん増えていく。

たしかに忙しいのは否定できない。そのかわりに収入がついてくる。

奥能登は、サザエのしっぽと言われていた。

行き止まりでこれ以上は先が無いということだ。

この限られた環境の中で、私は羽ばたいている!

農業ならではのこと。 主人の七光りで私も輝いているのだ。

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毎日が充実していますよ

私たちの当初の願いどおり、野菜の注文も増えて売り上げが伸びていった。

それと同時に、野菜苗の生産と販売も少しずつ増えていった。

お義母さんは、あいかわらず朝市で頑張っている。

野菜を置いてもらうスーパーも1軒増え、2軒増え・・・ありがたいことに、セールスに行かなくても向こうから「うちにも置いてほしい」とお願いに来てくれるお店もあった。

苗は、種苗店と小売りが半々である。

このように、毎日がとても充実している。

何をやってもうまくいくような気がする。

幸せってこれなのかなあ~・・・なんて思ったりした。

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2007年2月21日 (水)

ついでにもうひとつ!

「ついで」といっては失礼ですが・・・上の子と下の子とは違う、ということがわかった。

当然のことであるが、慣れとは恐ろしいものである。

二歳年下に男の子(長男)がいる。

長女は、40度の高熱でも平気で遊んでいたから、てっきり弟もそうだと思い込んでいた。

ところが、38度の熱でケイレンをおこした。36度でも、「これから発熱するぞ~」という時に熱性ケイレンをおこした。

1年間に何度という限界を越すほどの回数を体験させてしまい、あげくのはてに小学校に入学するまで抗ケイレン剤を服用することになった。

人の話では、一度のケイレンで脳の細胞がいくつか死ぬらしい。

これは、どう考えたって親の責任である。

上の子がそうだから、といって下の子も同じだと思っていた親が悪かった。

子育ては済んでしまってから結果が見えてくる。

今となっては、どうしようもないことだらけ・・・。

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2007年2月20日 (火)

冬になると思い出すこと

こたつのシーズンになると思い出すことがある。

2階の部屋をそうじするために窓を開けた。

娘は、ヨチヨチとそのへんで遊んでいた。

私が掃除機にスイッチを入れて、ふと見ると娘がいない!

てっきり窓から下に落ちたと思った。

私は、胃液が急激に増えて「急性胃潰瘍になった」と思った。

窓をのぞいても屋根があるから下は見えない。

不思議なことに泣き声がしない・・・ということは、泣く前に死んだのか?

震える足で階段を下りて外を見たが誰もいないではないか。

「まさか、まさか・・・」と思って、こたつの中を見たら娘がいた。

掃除機の音にびっくりして中にもぐりこんだのだ。

なつかしい思い出の一コマである。

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「家庭菜園の苗、どうですか?」

まだ雪がある時期に、農家に苗のセールスに歩く。

野菜苗のお客さんは、ほとんどが種苗店を変えないということがわかった。

突然に行っても疑われてしまって、返事は「NO!」だった。

「うちは毎年、○○種苗店と決めているから」と言って、なかなか注文がもらえなかった。

まあ、1年目はマイナスを覚悟して「とにかく、うちの苗も植えてみてください」

格安で、しかもサービス苗もつけて注文をもらった。

「良かったら、来年もご注文くださいね」

今年は顔見せだなあ~。

こうなりゃ、良い苗で良い品種のものを作るしかない!

私たちは、またまた仕事を増やしてしまった。

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2007年2月19日 (月)

野菜苗にも挑戦!

私がお嫁に来る前から、野菜苗も少し作っていた。

もちろん、自分も植えるからである。

苗を買っていたら苗代だけでも大変である。

それよりも、自分で種を蒔いて苗を作り、育てて植える。その苗を少し多い目に作り、販売するのだ。

義母が朝市でも売った。よく売れたらしい。

種苗店にも売ってもらっていた。 地元の畑に植える苗は地元産がいちばん適しているらしい。

ジャ~ン! その苗を小売りしよう!という考えはいかがでしょうか。

卸と小売りでは格段に値段が違ってくるではないか。

朝市は、小売りの金額である。そのかわり、ほとんどが配達をしなければならない。

ちょうど、冬の間は野菜が少ない。その期間を利用して、私が苗のセールスに行くことにした。注文を聞いて、春に配達をして代金と交換するわけだ。

最初は軽く考えていたけれど、実際に行動を起こしてみると大変だった。

「それみたことか!」と言われないために・・・一年やそこらで止められないこともわかった。

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売れるといいねえ

私たちの直接卸しは、だんだんと店の数が多くなっていった。

「注文がいっぱいくればいいねえ」

「そしたらハウスが足りなくなってくるなあ」

お客さんの希望にあわせると今のままでは足りないことがわかっている。

どんどん野菜を作る。店に卸す。完売する。

これの繰り返しでわが家の経営は順調に伸びていった。

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2007年2月18日 (日)

「生産者をはっきりさせようよ!」

「ねえ、○○農園のシールを作って袋に貼ろうよ」

「そんなこと、わざわざ言わなくたって美味しければ売れる」

私の気持ちは、もっと売りたい!じゃないのだ。

生産者をはっきりさせて、品物に責任を持つということだ。

住所や電話番号が入っていれば、苦情も言いやすいだろう。

主人は、苦情がたくさん入ってくると思っていた。

それならば、いい野菜を綺麗な野菜を自信をもって袋詰めすればいいのだ。

「おまえの行動力には負けたよ。 おれは、そんな行動力がないから羨ましい」と言って全てを私に任せてくれた。

夫の性格は、石橋を叩いて渡る・・・のならいいのだけど、叩きすぎてヒビが入って渡らない、という用心深いところがある。

それに比べて、私ときたら何でもやってみる性格。タコ糸をしっかりと持っていてくれないとどこに飛んでいくかわからないところがある。

シールを作り、袋の大きさによってはシールと同じものを印刷した。

ここまで開けっぴろげにしているのに、苦情はひとつも来なかった。

二人あわせて、ちょうどいいカップルなのかもしれない。

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2007年2月17日 (土)

農村女性も名刺をもとう!

ある時、女性だけの農業の集まりに参加した。

その時に、名刺をくれた人がいた。

普通の農家の女性だった。

私は衝撃を受けた。「女性でも名刺があればいいなあ」強くそう思った。

人との接し方もスムーズにいくのが想像できる。

帰って主人に話したら「そんなこと、恥ずかしい」と言った。

そこで引き下がらないのが私の良いところ!

「絶対にいいと思うようになるから」 そう言って、無理やりに名刺を作った。

主人と私の連名で・・・その方がどちらも使えていいと思ったからだ。

今では名刺を持っていない方が珍しい時代になっているけれど、当時は持っているのが人より進んでいたのだ。

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未満児保育

長女は、1歳半から個人で経営している保育園に預かってもらった。

3歳になったと同時に市立の保育所に入った。

忙しい時は、日曜日でも預かりますよ、という保育所だった。

農繁期でとても忙しい時に、日曜日に保育所にいたのは二人だけだった。

うちの子ともう一人はパン屋さんの子供だった。

私は、子供をよそに預けることは平気だったが、実家の親が反対した。

「そんなに仕事が忙しいのか」と何年経っても同じことを言うのだ。

忙しくしているのは私たちだ。

スーパーに直接卸すようになってからが、野菜を切らさないようにと栽培に工夫をした。

「いっぱい売れて、次から次と注文が来たらいいね」

そう思って頑張っていた。

義母も朝市でたくさん売れてほしいから、ハンパの野菜を山盛りにして安く売った。

そして、ミニぞうりは例の朝市音頭を歌ってどんどん売った。

私たち夫婦の会話も、歯止めがないほど盛り上った。

もちろん、年収をもっと増やすためには・・・だった。

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2007年2月16日 (金)

「4人で仕事ができていいね」

村の人からは、「家族4人とも仕事ができていいね。今のうちだよ」と褒められたのか、羨ましがられたのかわからないけれど、そう言われた。

そういえばそうなのだ。

お義父さん、お義母さん、主人、私と4人とも農業をしている。

最初は5棟しかなかったビニールハウスも一つずつ増えていっている。

朝市で売り、店に卸しもしているから儲かっているのに見えるのだろう。

後何年間、こうなのだろう?

その時は、将来のことなど想像するだけで実際はピーンとこなかった。

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直接スーパーに・・・

「そうだ! スーパーにうちの野菜がおいてあればいいんだ」

そう思った私は、さっそく主人に相談した。

朝市に義母が野菜を売る。私たちは直接卸す。こんないいことはない、と思った。

すでに、一軒の小売店に野菜を卸していたが(この店には、ほとんど年中取引をしている)今よりも店の数を増やそうというわけだ。

輪島の店は、昔から朝市からも仕入れをしている。

うちの野菜も店の人が買ってくれているのを知っている。

私は、ぜんぜん取引のない店に営業に行った。

「地物野菜を置いてもらえませんでしょうか?」

すぐに断られた。

理由は、農家は雨が続くと野菜が無くなる。晴れが続いても野菜が無くなる。

とにかく、天候のせいにして野菜の納品が続かない、というのだ。

そのとおりだ。 私は、返す言葉もなかった。

野菜を切らすことなく納品することができなければ、スーパーにも迷惑がかかる。

それはよくわかる。

「野菜を続けて持ってくるようにします!」と言ってしまった私。

作る人の身にもならないで勝手なことを言って、取り返しがつかない・・・と思ったけれど主人も話しにのってくれて良かった。

さあ、移動販売をやめて直接卸しを始めるぞ~!

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2007年2月15日 (木)

移動販売にも限界が見えた

野菜の移動販売は順調だった。

ハクサイやキュウリの浅漬けも作って売るようになった。

あの当時は、誰でも加工品を作ってもいいし、売っても良かった。

今のような厳しい検査はなかったのだ。

でも、そろそろ限界が見えてきた。

というのは、車だから・・・というのも変な話だけど、少し走っては止まる、また走っては止まる、の繰り返しが多すぎた。

「ちょっと待って~!」とお客さんが後ろから走ってくるのがミラーにうつる。

でも、次の場所に行きたいから止まっていられない。

軽トラいっぱいの野菜の値段も計算できるようになった。

そんな時だった。

「スーパーにも卸せばいいのにね。お店にあなたの野菜があると買うのになあ」

というお客さんがいたのだ。

また、私のアイデアが動き出した。

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2007年2月14日 (水)

休日は決めたけど・・・

せっかく農作業の休みを決めたのに、親たちは休み方を知らなかった。

本当に何をしたらいいのか、わからない状態だった。

ただ、二人でテレビを見ているだけだった。

しかも、とても疲れた様子で・・・。

私たち若夫婦は、喜んで休日を過ごしているのとは全く正反対だった。

これには驚いた。

だから、「これからは、何をしてもいい。仕事をしたかったら仕事をしてもいいけれど、人を誘わないこと!」というのに変えた。

これだったら、畑に出るのも「好きでやっているのだから」という面目がたつ。

休みをとって疲れているのでは話にならないね。

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2007年2月13日 (火)

たしかに農業は忙しい!

私が農業を嫌いな理由の中に、「働いても働いても儲からない」というのがある。

たしかに農業は忙しい。いつでも何でも仕事がある。

「儲からない」というのは、「売れば儲かる」ということがわかった。

でも、仕事にけじめがない、というのはどうしたものか。

私たち夫婦は、「休日をつくろう!」と決めた。

ちょうど、輪島朝市の定休日が毎月10日と25日である。

その日をわが家の定休日にしよう。

これは大変な決断であった。

農家で休みをとっている家はなかった。

とりあえず、月2回だけど休日としてやってみよう、ということになった。

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2007年2月12日 (月)

朝市って「休みグセ」がつくのよね

お義母さんのかわりに朝市に何日間か出ていたら、どうも「休みグセ」がついたらしい。

朝市は、毎日続けるからいいのであって、2・3日休むと行きたくないらしいのだ。

「ミルク代だけでも稼いでくれば?」と言われた。

そうなのだ。 私は、母親ゆずりでおっぱいの出が悪い。

母は、それを気にしてか「母乳が良く出るお地蔵さん」にお参りをしていた。

それにしても、努力しても出来ないことを言われてグサリときた。

その言葉に何ひとつ悪気があったわけではないことを知ったのは、それから何年も経ってからだった。

この家は、代々がお婿さんとりであった。

私は、久々の嫁なのである。

だから、嫁の気持ちがわからないのは当然だろう。

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すごい!子供がこんなことを!

ある日、長女がまだ4歳ほどだったと思う。

炊飯ジャーを開けて、なんとおにぎりを作っていた。

私は、感心するやら嬉しいやらで、実家の母親に自慢気に話した。

すると、褒められるとばかり思っていたのに、反対に注意された。

「かわいそうに! 子供の食べるものくらい作っておくものや!」

そういえばそうかなあ。

食べるものがなかったから、自分でおにぎりを作るしかなかったのだなあ。

少しは反省したけれど、でも、まだ小さいのに炊飯ジャーを開けておにぎりを作るなんておりこうさんのすることだわ。

その後が問題! 実家の村では、私の子供は自分で弁当を作って保育所に行くらしい、というウワサになってしまって、親の立場が半減したわけ。

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2007年2月11日 (日)

「野菜いらんけ?」

朝市にすっかり慣れた私は、自家製の野菜を売ることに楽しみを覚えた。

そこで考えたのが、「軽トラでの移動販売」だった。

当時、泉ピン子主演の「花咲け花子」というドラマが流行っていた。

まさに野菜の移動販売の話だった。

私は、軽トラに積めるだけの野菜をいろいろとそろえて出かけた。

最初は、家の人に出てきてもらうのがとまどったけれど、すぐに慣れた。

というのは、何曜日の何時頃にここに来る・・・とわかれば、車が止まると人が集まってくれるようになったのだ。

もっと持ってくれば売り上げは伸びる、と思っても荷物を積める量はわかっている。

毎日が完売で帰ってくるのは楽しかった。

自分の野菜の値段を自分が決めるのだから、残ると思えば安くもできる。

そんなわけで、車で行ける地域は大体覚えた。お客さんも私のことを待っていてくれるようになった。

「マイクをつけるか?」とまで話は進んだが、そこまではしなかった。

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農村女性のイメージを変えよう!

私たち夫婦は、とても会話が多い。

夜も遅いのに寝る時間も惜しんで話をする。

討論会をしているのではなくて、ただ話がはずむのである。

その中で、「農業のイメージ」が話題になった。

私は、もともと農業が大嫌いだったから心底わかっている。

特に農村女性に対するイメージが良くない。

だから、あんなのはイヤだということになるのだ。

私がマイナスイメージを変えよう! 私を見て、あんなふうになれたらいいなあ、と思われるようにしよう!」

そのためには、見かけも大事である。

明るいエプロンで薄化粧もして、マニキュアをつけて農作業をしよう。

人が何と言っても、私は私なりにおしゃれをしてハウスに出ようと決心した。

そう考えただけでも、ウキウキとして明日が楽しみになってくるのだ。

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2007年2月10日 (土)

かわりに朝市へGO!

風邪ひいたみたい・・・というお義母さんのかわりに、私が朝市に出た。

お客さんも不思議そうな顔で私を見る。

農家に嫁に来ても「恥ずかしいから朝市は行かれない」という人が多い中、私は案外と平気だった。

何日間か出ていたら、新聞社の人が取材に来た。

「恥ずかしくないですか?」

「知っている人や同級生が通ったらどうしますか?」

などと、質問をしてきた。

知っている人が通れば呼び止めるし、同級生ならばなおさらのこと。

地元の人は、「おかあさんが朝市音頭を歌っているなんて、あんた恥ずかしいやろ?」と言う。

最初は、言っている意味がわからなかった。

でも、よ~く考えると・・・あんな変わったことをして、恥ずかしくありませんか?という意味だとわかった。

残念ながら、私はぜんぜん恥ずかしくない。あれはビジネスである。しかも、お客さんを楽しませるサービス満点のアイデア商法である。

お義母さんも、いろいろと言われたらしい。

「そんなことをしていると、あんちゃんに(息子に)嫁が来ないぞ」などと。

アハハ・・・ちゃ~んと嫁は来ているし、朝市も嫌がらずに出ているよ。

テレビやラジオなどで輪島朝市が取り上げられる時は、必ずといっていいほど「朝市音頭」が流れた。

お姑さんは、朝市の名物おばちゃんだった。

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2007年2月 9日 (金)

宮ちゃんから嬉しい便り

大阪の宮ちゃんから、「社会復帰した」との手紙が届いた。

定期検査でも異常がみられず、本人はいたって元気なので会社に入ったそうだ。

でも、あいかわらず病院通いは続けなければならないし、もし異常が見つかれば会社を休んで治療しなければならないことも話してあるという。

おおらかな優しい会社があったものだ、と二人で喜んだ。

そして、アパートからマンションに引越しをしたそうだ。

今までのアパートは、昔の思い出が多すぎて気分転換に引越しをしたという。

すご~い! 宮ちゃんはもう大丈夫だ。

ちゃんと前向きに生きている。このままの状態が少しでも長く続くように願っている。

完治したのかもしれない、と思った私である。

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2007年2月 8日 (木)

朝市音頭

     朝市音頭

                唄:由岐ひろみ(実際の歌手です)

1.ハア~ そろたそろたよ 自慢の店が
  紺のかすりに 朝日も映えて わたしゃ朝市かんばん娘
  冴えた包丁 手さばきかるく 
  銀のうろこも ホラ おどります
  * ソレ サーサ いらっし 買いまっし
    * くりかえし

2.ハア~ へぐら島から 一番舟の
  海の香りに ついさそわれて 今日もいつしか 朝市通り
  サザエつぼやき ウインクすれば
  磯のアワビも ホラ 片想い
  * ソレ サーサ いらっし 買いまっし
    * くりかえし

3.ハア~ 今日も早うから 朝市日和り
  おばさん笑顔で 姉様かぶり ゆれる花束 取り立て野菜
  可愛いワラジも 鈴の音かるく
  旅のお方を ホラ さそいます
  * ソレ サーサ いらっし 買いまっし
    * くりかえし

4.ハア~ 雪のふる日も 風吹く朝も
  かっぱ姿の 働きものよ 可愛いあの娘は 朝市娘
  紅はささねど あからむ頬に
  能登のやさしさ ホラ 感じます
  * ソレ サーサ いらっし 買いまっし
    * くりかえし

5.ハア~ みんな陽気に 手拍子そろへ
  浜できたえた 自慢ののどで 唄はおなじみ 朝市音頭
  まき絵 沈金 その名も高く
  ほんに輪島は ホラ よいところ
  * ソレ サーサ いらっし 買いまっし
    * くりかえし

 
  

  

 

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義母のアイデア商売

わが家のお姑は、輪島朝市で商売をしている。

自家製の野菜の他、ミニぞうりなどの民芸品も販売している。

そして、なんと! ミニぞうりを10足買ったお客さんには、「朝市音頭」を1曲サービスに歌っている。20足買えば2曲まで歌う。
朝市音頭は、全部で5番まであるから5曲は聞けるかもしれないということだ。

朝市音頭を歌おう! というのは義母のアイデアだそうだ。

観光客がいかに楽しい思い出をもって帰ってくれるか・・・義母は考えたそうである。

ミニぞうりは、近所のおばあちゃんの内職である。

それを買って朝市で売ってあげている、というより売らせてもらっている、と言った方がいいかもしれない。お年寄りは、売れたら嬉しいからまた作る。

当時は景気が良かったから、ミニぞうりもよく売れたそうだ。

ということは、朝市音頭もよく歌ったということにつながる。

よくもまあ、このような大胆な発想ができたものだと感心している。

みんなは思っていてもできないのに、商売上手な義母は「やった!」のだった。

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2007年2月 7日 (水)

農園にトイレを?

「ハウスの近くにトイレを作ってあげようか?」

「わあ、それは便利だわ。家まで帰らなくてもいいから楽だねえ」

そんな私に猛反対したのが実家の母親である。

誰がトイレのそうじをするのか・・・というのが理由らしい。

水洗トイレになるわけでもないのに、そんなのは必要ないから絶対に作ってもらったらダメだ!と言うのだ。

そうかなあ? こんなに嬉しいことはないように思うのだけどなあ。

しかし、今現在はトイレがなくて良かったと思っている。

家の水洗トイレのそうじもままならないのに、どうして農園のトイレそうじができようか。

母は先見の目がある! 妙なところで尊敬した私だった。

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2007年2月 6日 (火)

帰るや否や・・・

グアム島から帰るや否や、農作業が待っていた。

私は、掃除や洗濯などの家事を済ませてからハウスに行こうと思っていた。

すると、「そんなことより、早くハウスに行って息子の手伝いしてや」と言われた。

結婚前のお姑さんのあの言葉は信じていなかったけれど、「もしかして」という期待もあった。

農業がイヤなら、町に働きに行ってもいいしね

これは、お義母さんの言ったことで、息子はあくまでも「オレといっしょに農業をしてほしい」と思っていた。

私もそのつもりでお嫁に来た。

いっしょにいると楽しいし、農業に対するイメージを自分が変えてやろう!という意気込みもあったのだ。

じゃあ、家のことはいつするの? 早めにハウスから帰ってきて、それから家事をするわけ? 

わあ~、大変だあ~。

これからどうなるのだろう。 

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2007年2月 5日 (月)

流行っていた言葉

あの頃に流行っていた言葉の中に「成田離婚」というのがあった。

新婚旅行から帰った後に、すぐに離婚するカップルのことだ。

文字どおり、成田空港から別れるということだった。

私には考えられない。ハネムーンで別の性格を見つけてイヤになるのだろうか。

この人には、こんな一面もあったのか・・・と思えないのだろうか。

私たちのように、交際期間が短いと(短すぎる)相手の新発見ばかりだったが、それが苦痛となるのだろうか。

とにかく、不幸な両家であることは間違いない。

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2007年2月 4日 (日)

青い目の赤ちゃん?

私たちの行き先が外国ということに反対する人もいた。

反対理由は、「青い目の赤ちゃんが産まれたらどうする」というのだった。

エッ!? そんなバカなこと・・・そこまで考えていたとは驚いた。

ご心配なく!!

ちゃんと、黒い目で黒い髪の女の子が産まれましたよ。

しかも、ダンナにそっくりな・・・要らぬ心配はするな、ってことよ。

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2007年2月 3日 (土)

ツアー全員が新婚旅行

あの時に流行っていたのは、「グアム島」だった。

なんと、ツアー客の全員が新婚旅行だった。

それには驚いた。私たちの旅行社だけではなく、同じ飛行機に乗った人のほとんどがハネムーンのような気がした。

熱いカップルが暑い所に行くのだから、グアム島の気温も上昇したことだろう。

忘れられないことがあった。

自由時間に、ホテルからタクシーに乗った。

「マリファナ、する?」と聞いてきた運転手。

「No!」と答えたら、目的地まで行ってくれたが、あの時に「Yes!」と言っていたら・・・どこに連れていかれたのだろうか。

こんなことで事件に巻き込まれることもあるのだなあ、とつくづく思った。

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2007年2月 1日 (木)

簡素化なんてできないよ!

当時、「結婚式は簡素化しよう」運動が流行っていたらしい。

私は、そのころは都会にいたから知らなかったけれど、言いだしっぺが私のダンナになる人だったらしい。

結婚式は、本人同士はもとより、家と家とのつながりもある。

その方が将来的に強いのではないだろうか。

だから、簡素化しようと思っても両家が返事をしない。

私としては、たぶん一生に一度のことだから・・・という思いもあるし、親としても一度きりの結婚式だから・・・という思いもあるだろう。

今から思えば、簡素化の「か」の字もなかった気がするけど。

忘れられないことといえば、青年団の友達が野菜をもって芝居をしてくれたこと。

大根をもって、二人の出会いからこれまでのことを芝居にしてくれた。

田舎のことだから、私たちがグアム島に新婚旅行に出かけてからも祝いの膳を続けていただろう。

さあ、船は港を離れたよ!

どんな航海になるのか誰もわからない。

わからないから興味津々、なんていうと親に怒られるね。

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その日がきた!

4時半といえば、まだ暗い時間である。

7時半には、新郎がお迎えにくるという。

わが家のお仏壇をお参りして、花嫁を連れて嫁ぎ先までGO!

私の家から嫁ぎ先の家まで、スムーズにいけば車で20分程かかるだろうか。

その道中に、縄を持って道をふさぐ人がいるの。

その人たちに、ご祝儀をあげて道を開けてもらう。

おもしろいでしょう?

何ヶ所にも縄を張って、花嫁さんが通るのを邪魔する慣習なのだ。

車同士がすれ違った場合は、向こうがバックをして譲ってくれる。

絶対に花嫁の車はバックしないことになっている。

とまあ、私の田舎ではこうなっているわけ。

とうとう来るべき日が来たってことだ。

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