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2007年3月の40件の記事

2007年3月31日 (土)

体調に異変?

更年期ってこうなのかなあ?

いよいよ来たのかなあ? などと、ずう~っと思っていた。

頭痛薬のクスリは、いつもカバンの中に入れてある。その他、視力が衰えたと感じることが度々あった。
それに、耳鳴り・・・これにはどうしようもなかった。自分の耳鳴りで眠れないこともあった。

耳鼻科に行くと「気にしないことがいちばん良い」と言われた。

気にしないで、と言われても気になって仕方が無い。

特に夜は、まわりが静かな分だけ自分の耳の音が大きく聞こえてくる。

何かおかしい。 お店に配達してきた後は、ひと眠りしないと家事ができない。

昼寝どころか、まだお昼にもなっていないのだ。

ダラ~リ、ダラ~リと過ごすようになってきた。

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2007年3月30日 (金)

「こんな忙しいのは嫌だ!」

息子を夏休みバージョンに戻してあげるべきだった。

もうすぐ学校だというのに、仕事ばかりさせていた。

こんな忙しい農業は嫌だ、と言い出したのだ。

そして、なんと十二指腸潰瘍になってしまった!

イライラがストレスになって、体調を悪くしたのだろう。

私も母親らしいこと、主婦らしいことは充分でなかったことを反省した。

体調が変になったのは、あんただけでないのだよ。私だって・・・。

そのかたわらで、いつもニコニコとしているおばあちゃんがいる。

義母は何を考えているのだろう。どうして、あんなふうに笑うことができるのだろう。

おかゆを作りながらそう思った。夕ご飯をすませた後、また作業場に出て行く。

そして、明日の配達の用意をするのだ。

こっちこそ、「こんな忙しい農業は嫌だ!」と言いたい。

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2007年3月29日 (木)

旧盆はいつもの3倍は売れる

輪島のお盆は、8月の旧盆をさす。

この時は、いつもの3倍は売れる。観光客も多いが、帰省客も多い。

朝市に出る人は、先ず、朝も暗いうちから荷物を置きに出かける。

テントを作るのは、音が左右の民家の邪魔になるから後でする。

ところが、2回目の荷物を運んでいる間にお客さんが来てくれるのだ。

テントを出し終わらないのに、野菜も並べ終わらないのに商いをしなければならない。

声も大きいから、まだ寝ているかもしれないお家に迷惑がかかる。

わかっているけれど、つい大声で商いをしてしまう。

途中で品切れになりそうな時は、電話をして再度持ってきてもらうのだ。

この旧盆で、すべての野菜を売ってしまうほど農家の勢いはすごい!

私たち夫婦と息子はフラフラになりながら仕事をした。

おじいさんもパートのおばちゃんも頑張った。

「猫の死骸でも朝市じゃ売れる」と言われるほど人気があった。

私たちは、息子がとても手伝ってくれていることに甘えてしまっていた。

まだ学生で夏休みだということを忘れていたのた。

その後だった、息子に変化が現れたのは・・・。

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2007年3月26日 (月)

息子にも顧客

朝市って、毎日出ていると必ず顧客がつく。Asaiti

おなじみさんが、「イヨッ!出ているか!」と言って野菜を買ってくださる。

そうなると休むことができなくなってくるのだ。

一日でも休むと、「どうした? 何かあったのか?」とそりゃまあ聞いてくるのなんのって・・・。

息子は、宅急便のお客さんも見つけてくれた。

ひとつは、東京のおばさんグループであった。 その人たちと、今でも「野菜のおたのしみ」が続いている。

もうひとつは、漬け物会社の社長さんだった。その人も東京だった。

キュウリをたくさん注文してくれたのは嬉しかった。Kyuuri

そんなわけで、朝市もお客さんを見つける重要な売り場なのである。

今後も出られる限り出たい!と思ったが・・・。

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2007年3月24日 (土)

息子が朝市デビュー

「もうすぐ夏休みだから、朝市のバイトを探そうか?」

すると「オレが朝市に出る」と息子が言った。

本当なのか? やる気があるのか?

半信半疑だったものの、天まで昇るほど嬉しかった。

若い男が朝市に出ると、超人気者になるだろうなあ・・・と想像すれば楽しくなった。

自分の思うとおりに売ることができる。

値段も好きなようにつけることができる。

朝市の良さを充分に体験してほしい!

どこまで続くかわからないが、夏休みの間だけでも大助かりだ。

高校3年の夏休みは、息子の朝市デビューで始まった。

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2007年3月23日 (金)

「ばあちゃん、そりゃないよ!」

忙しさを理由に声かけをサボっている、といっても過言ではない日々。

こんなにびっくりしたことはなかった!

今までは、「はい、クスリ」と置いておくと袋を破いて飲んでいたのに、急にわからなくなったのか、袋のまま口に入れた。しかも、パチンと破いて錠剤を取り出すあの四角い形のままで・・・。

あれを飲み込んだらどうなんだろう。袋は柔らかいけれど、錠剤の入れ物は硬いのだ。痛いに決まっている。

ごめんね、ごめんね。
これからは、ちゃんと出して並べておくからね。

ところが!やがて飲み込むより噛み砕くようになろうとは予想外だった。

「ばあちゃん、そりゃないよ!」

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2007年3月22日 (木)

イライライラ・・・

これはおばあちゃんの病気だとわかっていても、イライラする。

わざとできないふりをしているのでは?と思う時もあった。

年の功で、他人と会話を交わすのが上手なのである。

いかにもわかっているように相づちを入れる。

他人は、「普通の人」のように見てしまう。

「お風呂だけでもヘルパーさんを頼もうよ」

私たち夫婦がいくらお願いしても、おじいさんが「うん」と言わない。

足の悪い人をお風呂に入れるのは大変な労働なのに、私と夫は「じいちゃんに入れてもらうと1回でヘルパーさんを入れるようになるだろう」と作戦をたてた。

ところが、何回してもおじいさんは弱音をはかない。

けっこう息切れしているのに、頑張ってお風呂に入れている。

それならば車イスで散歩はどうだろう?

これなら1回で「ダメだ~」と言うに決まっている。

だけど、この時ほど夫婦のつながりを感じたことはなかった。

私は、おじいさんが危なっかしくて後からついて見ていたくらいだ。

田舎独特の考え方というか、見栄っ張りというか・・・その気持ちが取れない限り、ヘルパーさんは無理だとわかった。

だから、家中がイライライラなのだ。

仕事も順調に忙しい。

私たちは、1日が30時間あればいいと思うくらい時間が足りなくなっていた。

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2007年3月21日 (水)

「朝市に出てみる?」

順調に回復にむかっているおばあちゃん。

ちょっと足が不安定だけど、朝市では座っているから大丈夫かもしれないね。

これ以上、ボケさせないために(今は認知症というのだったね)家族は、朝市に出ることをすすめた。本人も行きたがっている。

朝市音頭も忘れていない!

よ~し! それじゃ行ってみるか!

ということで、いざ輪島朝市へGO!!

ばあちゃんを一人にして大丈夫かなあ。 どうしているだろうか?

などと、心配は半日中だった。

むかえに行ったら案の定。 両左右の出店の人に助けられて商売をしていたようだ。

買い物の計算から、おつりの計算。

袋に入れて持たせるところまで、お隣さんに迷惑をかけていたようだ。

ああ、やっぱり無理だった。

もうすぐ夏休み。 観光客もたくさん来てくれる。

だから、夏休みに朝市に出ないことは考えられない!

私も頭が痛くなるはずだ。頭痛薬が常備薬になろうとは・・・更年期かしら?

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思い当たること、あるなあ。

頭の回転が鈍くなってきている・・・そういえば、思い当たることがある。

お昼に朝市にむかえに行っても、ぜんぜん片付けをしていなかった。

12時半までには、きれいに後片付けをして帰らなくてはならないのだ。

歩行者天国は午前中だけで、午後は車が入ってくる。

今までは、私がむかえに行くと片付けをしてあった。

車に乗せるだけで良かったのに、ばあちゃんは何ひとつ片付けをしていない日が続いた。

「片付け方を忘れたのかなあ」と思い、ボケの始まりだと考えていた。

その頃には、第一回目の脳梗塞を起こしていたのだと思う。

今から思っても遅いことだけど、次々と思い当たることが見つかった。Otanosimibako_002

朝市の民芸品を片付けるのは容易なことではなかった。

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2007年3月20日 (火)

だいぶ良くなったね

治療のかいがあって、症状も落ち着いてきた。

リハビリで右手も使えるようになった。足はもうちょっと重いかな、という程度にまで回復した。

お医者さんの話によると、今回が初めてではないという。

以前に脳梗塞を起こした跡があるらしいのだ。

私たちは全く気がつかなかった。

思い起こせば・・・「年のせいかな? ボケの始まりかな?」と思ったことが度々あった。

動作が鈍くなったのもそうだし、言っていることとしていることが違ったり、そういえば何かと思い当たることはあった。

軽い脳梗塞なら気がつかないで終わるのかしら?

とにかく、今回は2回目ということになるわけだ。

さあて、朝市に行けるようにまで回復するかな?

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病院へ急げ!

何とか全国大会の日程を終えた私は、急いで帰路についた。

といっても、列車の中を走るわけにもいかず、ただ時間の経つのを待つのみ。

イライラしながら、いろんなことを想像しながら・・・。

時間通りに列車は到着した。私は、きがえる暇もなくスーツ姿で病院に駆けつけた。

曲がったホッペの義母がいた。

夫は、これでもまともな顔に戻ったのだという。

フトンに寝かせておいて、「どうかな?」と見に行った時は、顔がひどく曲がっていたらしい。それでびっくりして病院に連れて行ったという。

手術することもなく、点滴で詰まった血管が元どおりになったのだろう。

でも、義母は右半身マヒである。

「ごめんね。私がいなくて・・・」 という言葉に「何が?」と答える義母。

自分がどうなってここにいるのかを、すっかり忘れている。

処置が遅かったのが原因だと思う。

これからのリハビリで少しでも良くなっていくことを願うのみである。

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2007年3月19日 (月)

私のいない間に・・・

女性農業者の全国大会が新潟県で開催された。

北陸ということで、私がパネラーの一人に選ばれた。

私は、「女性起業家として」選ばれたわけだが、大それたことはしていない。

でも、明るく楽しく前向きに農業をしていることが評価されたらしい。

交通手段としては、どんな方法をとってもお昼前には到着しないことがわかった。

私は、前日にもう着いている計算で家を出た。

1泊2日が2泊3日になったのだ。

家を留守にする時には、必ず「何か変わったことない?」と出先から電話をする。

いつものように電話をしたら、何か奥歯に物が挟まったような言い方をしている夫。

直感で「何かあったな」とわかった。

無理やりに聞くと・・・ばあちゃんが入院したという。

昨日まで元気に朝市に行っていたのに、どうしたわけなの?

義母は「脳梗塞」だった。

朝、トイレで倒れたらしい。 家の人たちは、つまずいて転んだと思って、朝市を休ませてフトンに寝かせておいたという。

私がその場にいたら・・・どうしたかはわからないけれど、自分がいない時にそうなったことで申し訳なかった。入院の用意も大変だっただろう。

「すぐに帰ろうか?」

「おまえが帰ったところでどうにもならない。パネラーの仕事をしてこい」

出番はもうすぐだった。気になってはいたけれど、舞台に上がったら義母のことは頭から離れた。薄情なのかもしれないけれど、夫の「おまえが帰ったところでどうにもならない」という言葉に甘えた。

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2007年3月18日 (日)

親子で会話

学校を決めた時から、親子の会話ができるようになった。

もちろん、農業に関しての話だった。

今までは話をしないように気をつけていたことを、堂々と話せるようになって私たちは楽になった。

農業に対する意気込みを話すときは、私が夫にひと目ぼれ(?)した時のようなイキイキとした目でしゃべっている。

私の知らない専門用語も使っている。

へえ~、本気になったのか?

息子は、学校からの推薦入学で農業高校に合格!

良かったね、お父ちゃん。

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2007年3月17日 (土)

息子に変化が!

あれから少しずつだけど、息子の農業に対する考え方が変わってきたように思う。

反抗的なところがなくなってきた。

「農業高校に行こうかなあ」

信じられない言葉を聞いた。父親の母校である農業高校に行くと言うのだ。

その高校には、夫が習った先生もまだ勤めている。親子二代で同じ先生に習うことになるとは、めでたい・めでたい!

農業高校に行ったから農業をするとは限らない。

だから、心から喜ぶべきではないけれど、一応ちょっとだけ気持ちが傾いてくれたことに対して嬉しい!

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中学3年生の男子たち

「友達が気分転換に農園で働きたいんやて!」

気分転換しなければならないほど受験勉強もしてないだろうけれど、息子の要求に「いいよ、何人でも連れておいで」と言ってしまった。

ワイワイ・ガヤガヤと大なり小なりの男子生徒が6~7人やってきた。

さあて、何をしてもらおうか?

ナス畑で枝の誘引ってのはできるかな。

男の子たちは楽しそうだった。自然にかえることが楽しいのか、友達といることが楽しいのか、それとも勉強から逃れたことが楽しいのか・・・。

笑っている顔はかわいい!

不良とかキレル子とか言うけれど、この子たちには当てはまらない言葉だ。

おやつを出せば「やった~! ありがとう」と言って汗だくの顔して畑に座り込む。

「1日頑張ったね。これ少しだけどお礼ね」 

「お金もらえると思わなかった。ありがとう!」

喜んで帰って行った。

わが家の息子も「あれだけでこんなにお金がもらえるのか?」と喜んでくれた。

何人もの子供たちがいたけれど、うちの息子の仕事がいちばん上手だったのは親バカでも何でもない。本当のことだった。

ていねいに仕事をするし、そんなに教えなくてもやってのけた。

これはカエルの子はカエルなのかな?

ちょっぴり見直した記念日でもあった。

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2007年3月16日 (金)

宮ちゃんからも手紙が!

大阪にいても揺れはすごかったらしい。

親子の縁を切って以来、誰とも連絡のなかったお姉さんから連絡があったという。

もちろん、妹の宮ちゃんを心配してのことだ。

お姉さんは、今までの宮ちゃんを許すと言ってくれた。

そう言って喜んでいた。

私も嬉しい。 一人でいつまでいれると思う?

お姉さんと近しくしていたらひと安心だ。

アッ! 体調のことを聞くのを忘れた。

たぶん、何も言わなかったところをみると今回もOKだったのだな。

もしかして、もう治ったのじゃないの?

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風のたよりに・・・

風のたよりに聞こえてきた。

神戸のN生協に勤めている同級生(ということに)のことが・・・。

家は壊れた。でも、家にも帰らずに被災者に食べ物を配っているという。

仕事に一生懸命だけではすまされない。家族をおいてのボランティアだ。

すごい! 忘れていたことを、ふと思い出してしまった。

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阪神大震災の記憶

あれは、1955年1月17日の早朝だった。

信じられない出来事がニュースに流れた。

阪神地方に大地震がおきたという。

「宮ちゃんは? 会社の人たちは?」

心配はすれども連絡が一切とれない!

連絡がとれないまま数日がたったある日、大阪の会社の人から連絡があった。

ビルはなんとか大丈夫だったが、社員の中で家が壊れた人もいるという。

「社長は?」 社長は、神戸の須磨区に家があった。半壊したけれど家族は無事らしい。

会社までの交通手段は、だというのだ。

私は、何年も大阪にいたくせに船で出勤する方法を知らなかった。

会社に行っても後片付けばかりだという。

そうだろうと思う。 あんなにすごい地震だったから、部屋の中はメチャメチャに散乱していることだろう。

どんなに怖かったことか・・・忘れてはならないどころか、将来まで語り続けなければならない阪神大地震だった。

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2007年3月15日 (木)

何百回もの「おかえり!」

本当に本当に、こんなに主人の帰りを待ったことはなかった。

日本に到着した、と聞いただけでも嬉しかった。

でも、わが家までは遠い。とにかく、小松空港まで来なければ帰れない。

雪のない道路なら3時間くらいだろうか。

小松空港から4時間以上もかかって、ようやくわが家に着いたのは深夜だった。

能登有料道路は、テカテカに凍っていたという。

幸いにも、道路が貸切状態だったから良かったものの、対向車や前後に車がいたら事故のもとだ。

「やっとの思いで帰って来た」と主人もホッとした様子だった。

皮肉なもので、次の日からは雪は降らなくなった。

まるで、留守番の私たちを試したかのように振っていたのか。

言葉では1回の「おかえり」だったが、心の中では何百回も言っていたの、わかったかなあ?

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2007年3月14日 (水)

大型ユンボがハウスに向かって!

除雪車も吹雪きで道がわからなくて立ち往生しているところを、1台の大きなユンボが動いてきた。

なんだか、わが家のハウスに向かって来ているように思う。

私は、「何だろう? どうしたのだろう?」 と遠くから見ていた。

そのうちに、そのユンボの向かっている先はわが家だとわかったのだ。

エエッ! 涙が出そうなくらい嬉しかった。

雪の重みでつぶれていくハウスを見るのかと諦めていたところだった。

ユンボの持ち主は、わが家の野菜苗を売ってくれている種苗店だった。

その店は造園もしているから、大型機械は何台もあるのだ。

でも、普段は町から離れたところに置いてあるはず。

ということは、あんな遠い場所から私の所まで歩いて来たくれたのか?

私は、神様が来たのかと思った。

ハウス周辺の雪をどかし、家からハウスまで道をあけてくれて帰っていった。

あの時は本当に嬉しかった。

そして、「雪はどうか? ハウスは大丈夫か?」と野菜を卸している店からも電話がきた。

地元で商売をしていて良かった!と思った瞬間だった。

みんなが心配してくれて、助けようと思ってくださった。

そのことが何よりも有難い。

私たち夫婦は、野菜を市場にも出さないで地元で商いをしている。

やっと少しは認められたかな、と大雪のおかげで納得できたのだった。

「お宅は生産だけをして、売るのは店に任せなさい」と言った種苗店だった。

今回の出来事で全てが御破算になった。

いい苗を作るから、これからも宜しくお願いします。と心から思った。

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こんな降り方は久しぶり!

主人が農業研修に行ってから、毎日降りっぱなしの雪・雪・雪!!

こんな降り方は久しぶりである。

一晩で50センチは積もる。

「メキシコは暑いけど、そっちはどうや?」

「すごい雪で、学校も休んでいる」

信じられない、といった様子がよくわかる。

確かに車庫のシャッターが雪に埋まって開けることができないのだ。

学校は休校の日もあったけれど、その日以外は車を出すこともできなくて子供たちを送ることができなかったのだ。

ハウスの雪すかしも追いつかない。親戚中が来てくれたけれど追いつかない。

ユンボはあっても運転できる人がいなくて無理!

もう一晩、このような雪の降り方をしたらハウスがつぶれることを覚悟した。

自然は怖い! 止めることができなくて、なるようになるのを見ているしかないのか!

まさか、ここまでくるとは思わなかった。

主人がいたらユンボでハウスの雪をすかし、自宅周辺の雪もすかしていただろう。

そんな時だった。私は、自分たちのやってきたことに間違いは無かった!と思えることがおきたのだった。

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2007年3月13日 (火)

雪マークだけど、出発は大丈夫かな?

主人が出かける1週間ほど前からは、ずっと雪マークが続いていた。

「あちらは夏らしいから楽しみだなあ」と言っていた。

ところが、雪は休むことを忘れたかのように降り続いた。

ハウスを心配しながら、とにかく主人は家を出て行った。

私は、帰りが自信ないから子供たちとバスで行った。

主人を車で行かせたのも後悔するほどの降り方だった。

前が見えない!

雪に風が吹くと真っ白でとても怖い。道路も凍っているようだ。

それでも時間が経つとバスは空港に到着した。

主人も無事に来ていた。

出発前からこんなに心配するなんて思わなかった。

「いってらっしゃ~い! 楽しんで来てね!」

とは言ったものの、10日間大丈夫かなあ。 研修旅行のことじゃないよ、わが家のこと。

偉そうなことを言って主人を出したけれど、本当は心細い・・・。

雪さえ降らなければ・・・なんて、雪のせいにしている私。

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今度はあなたも行ってくれば?

私の方が先に農業研修に参加して申し訳ない気持ち。

「今度はあなたも行ってくれば?」と主人に言った。

どうやら冬にアメリカとメキシコ行きがあるらしい。

今しかないよ。 行ける時に行っといた方がいいよ!

悩んでいたらしいが、思い切って参加することに決定!!

ちょうど冬だから、農作業もヒマな時期である。

10日間くらい、雪すかしをしていたら済むだろう・・・などと軽い気持ちでいた。

私としては、お返しをしたかったのだ。

夫が返事してくれて良かった、と思っている。

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2007年3月12日 (月)

息子よ、気は変わらないか?

せっかくハウスに良い香りのする花を植えたのに、息子は知らん顔をしている。

知らん顔だけなら我慢できるけれど、なぜか農業に対して反抗的になっている。

父親がもっとも嫌がる「ビニールに石を投げる」行動も始まった。

私たちは、息子の前では仕事の話はしていない。

もうどうでも良い。 好きで始めた農業を好きなだけ好きな人がすればいいのだ!

でも、息子のいいところは春休みに野菜苗の接木を手伝ってくれること。

カミソリの刃を使って細かい仕事をするのだ。

夫は、息子が保育所のころから、カミソリの刃を持たせていた。

器用なことはわかっている。上手に刃を使うことができることも知っている。

この接木の仕事をさせたのがストレスになったのだろうか?

たしかに春休みはこれだけで終わってしまうから・・・。

そろそろ進路を決めるころになってくる。

息子よ、気は変わらないか?

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肥料も手づくり

こだわり」とは、栽培方法にこだわる・品種にこだわる・農薬にこだわる・肥料にこだわる・・・等、広い範囲にある。

わが家は、農薬を減らすためには元気で丈夫な苗をつくる。そのためには、土から変えていかなくてはならない、と考えた。

当たり前のことだが、苗が元気ならば病気も出ない。ということは、農薬の回数も減ることにつながる。

」を使って肥料を作る!Bokasi_002

配合は、作物によって欲しがるものが違うから、大変むずかしい。

骨粉や米ぬか、油かす等に菌を混ぜて発酵させる。

何度も失敗を繰り返した後に、最近は毎年うまくいっている。

でも、ちょっとの油断で発酵に失敗することもあるから、肥料を作り始めたら主人は神経質になる。

私は? あいからわず、口だけうるさい。 発酵に成功した時のなんとも言えない良い香りを褒めるのが仕事である。

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2007年3月10日 (土)

「こだわりの野菜」の始まりは・・・

あれは、結婚して間もないことだった。

いつものように、ハウスの野菜に農薬をかけていた。

とても強力な農薬だから、ハウス内では使用しないように・・・との注意書きもある。

それなのに、野菜の病気は抵抗力が強くなってきて、だんだんと強力にしていかないと効果が出なくなった。

消費者が残留農薬のことをよく言うけれど、生産者はそれを頭からかぶっているのだ。

宇宙服みたいに全身を覆っていても身体に異変が現れる。

「なんかおかしいぞ」と思って、薬散を途中でやめて家で休んでいた主人。

シャワーを浴びてもスッキリしない。 ビールを飲んでも気分は悪くなるばかり。

そのうちに吐き気ばかりで、起き上がることもできなくなった。

これは、完全なる農薬中毒だ!

病院では「いつ飲んだのですか?」と聞かれた。

自殺? とんでもない!

良い野菜を作るために、農薬と科学肥料でちゃんと農業をしていますよ。

いくら農業が下火になっても、夫は自殺など絶対にしない人だ。

農業を天職だと思っている人だから。

それからだった。化学肥料と農薬を極力減らしたのは・・・。

農薬中毒を3回もやると、心底いやになるのは当然のことだ。

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生産者は生産のみなの?

ある時、野菜苗を注文をとって小売りしていることに対して言われたことがあった。

わが家の苗を売ってくれる種苗屋さんだった。

「生産者は生産するだけで、小売りは店に任せなさい」と言うのだ。

これには、主人も反発した。

「卸の代金だけでは生活できません。だから、小売りは止めません」

実際にハウスまで買いに来てくれるお客さんも増えている。

ここでやめたらお客さんの信用も落としてしまう。

せっかく車を走らせて苗を買い求めに来てくれたのに、手ぶらで返すことはできない。

私たちは、良い苗を選んでお客さんに差し上げる。

せめてものサービスとして、栽培のことや野菜の質問にも答えてあげる。

それが人情というもの!

卸と小売りじゃ、金額も倍ほど違うけれど、それ以上に人とのつながりを大事にしていきたい。私たち夫婦が築き上げた人間関係を崩したくないのだ。

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2007年3月 9日 (金)

直売所がだめなら宅急便

いくらフランスで感動した直売所の話をしてものってこない。

私は、何かをしたくてウズウズしている。

そこで考えたのが、「野菜のおたのしみ箱」だった。

Ueda_013 季節の野菜を何でも入れて、都会の人に送る。

もちろん、ミニぞうりをおまけにつけている。

その季節にある野菜を使うから、箱いっぱいに入れてもそう高くならない。

送料込みで3000円からOKだ。

先ずは、都会にいる友達に見本として送る。

すると、その友達は友達を紹介してくれる。

また、朝市でも観光客に名刺を配る。名刺の裏には、「野菜を送ります」と書いてある。

ジワジワと確実に広がっていくのがわかる。

宅急便は、最初が肝心! 気に入ってもらえれば、毎月のように注文してくれる。

私は、自分が損することも考えなくてサービスするクセがある。

損して得とれ・・・という言葉もあるくらいだから、損を損とは思わない。

日本中の人とつながっていたいから!

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「聞いて、聞いて!」

「ねえ、聞いて! 聞いて!」

私は、何から話そうか順番を付けかねていた。

「フランスの直売所はすごかったよ!」

どこへ行くのかと思うほどの田舎をバスは走った。

まわりが田んぼで、民家は無い!

わかるのは、もうすぐ農園があるということだけだ。

日本のように横からの細い道はなく、ただ一本道だった。

そこに直売所があった。横には農園があり、牛がいてニワトリがいて果樹園まである。

その農園にとれた野菜を売っているのだ。

加工品も数多くあった。花もある。とにかく何でも売っているのだ。

時間は制限されていた。途中に2時間の閉店があって、時間はきちんと守られていた。

閉店の間に、野菜をそろえ、花を補充し、品物をきれいに並べ替える。

こんな田舎の直売所が売れるのかしら? と心配していたが、その心配はあっというまに消えた。

なんと、開店の時間に合わせて車がどんどん入ってくるのだ。

みんな1週間分はあろうかと思うほどの買いっぷりだった。

日本でこういうことができるだろうか?

私は、興奮しながら主人に話した。

「外国やからこそできる」 返事は簡単だった。

そうかなあ~・・・日本人と買い物の仕方が違うのだなあ。

いや、ここでもできるかも? やっぱり、だめかな~。

わが家に置き換えて想像は膨らむばかりだった。

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2007年3月 8日 (木)

現実は現実だ!

私がいなくても別に変わりはなかった様子。

わずか10日間というのが良かったのかな。いちばん苦労したのは、毎日の食事のことらしい。それだけでも、主婦の大変さがわかったようだ。

秋も本格的になっていたから、野菜の配達は秋野菜。

秋野菜って重いのよね。

大根にキャベツ、ハクサイ・・・どれをとっても重い野菜だ。

収穫に配達に伝票書き、そして家事、と主人は大変だったと思う。

あいかわらず朝市にも出ただろうから、送り迎えが大変だ!

義母は、自分の仕事場を朝市だと思っている。

よほどのことがない限り、朝市を休まない。

雨が降れば、出る人が少ないから売れる。

台風がくれば、なお売れる。 それこそ、出店が無いから独占販売。

午前中だけの仕事だけど、お客を呼ぶのと朝市音頭を歌うのとでヘトヘトになって帰ってくる。

朝は主人が送り、昼には私が迎えに行く。 これが毎日の日課である。

あれは夢か幻か・・・早く現実に慣れなくてはね。

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2007年3月 7日 (水)

朝と夜が逆転

「もしもし・・・今、夜の10時頃だけど」

「エエッ!いいなあ~、今から学校いくんやよ」

こんな会話で始まる。

完全に朝と夜が逆転している。

地球って不思議だなあ、とつくづく思う。

電話をしても、まるで隣の家にいるような感じ・・・いや違ったかな。

多少の会話のずれがあったなあ。それくらいはいいとして、家は別に困った様子はなさそうだった。

やがて、スケジュールの全てを終わろうとしている。

私たちは、もう完全に「同じ釜の飯を食った仲」になっていた。

10年後には、もう一度、同じメンバーで同じ所に旅行しようね!

帰れば各々の仕事が待っているのも気がつかず、感情にまかせて固く口約束をした。

あれから10年以上は経っている。

新聞やテレビなどで、活躍しているメンバーを見ることになろうとは思いもしなかった。

朝と夜の逆転劇は幕を閉じようとしている。

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住めば都?

フランスでは、長期滞在型のホテルでの連泊だった。

台所には鍋やスプーンも置いてある。家具もあって、ちょっとしたマンションみたいだった。

フランスにも朝市があって、朝の暗いうちから電気をつけての商売だった。(朝市は世界中どこにでもあるのだろうが)

そこで買い物をして、ホテルで調理をして食べたりした。

もちろん、日中は視察や観光にあけくれていたが・・・ホテルが同じというのは大変つごうが良かった。

あいかわらず、美術の本か歴史の本の1ページを見ているようで夢か真かわからなくなっていた。

住めば都とはよく言ったもので、身体も慣れてくるとラク~な気持ちになってきた。

日本に帰らなくてもいい!とまで思い始めてきた。

これは私だけではなくて、何人もの人が同じことを言っていた。

もうしばらく、このままでいさせて!

何のんきなことを言っているのだ! わが家は主婦がいなくて大変かもよ。

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2007年3月 6日 (火)

教科書の写真とおんなじだ!

まあ、まあ! なんてステキな国だろうか。

教科書の写真と同じだ! 街の中が美術館のようだ。

イタリアの街並みに感動して、フランスの華やかさにうっとりして・・・私は、いったい農業の何を見てきたの?

農家といえば、わが家の規模なんか話にもならない。

一枚の畑が地平線になるまで続いているのだから驚きだ。

そして、もっと衝撃的なことは「日本向けに作っています」ということだった。

種も日本のものを使っているらしい。

あ~あ、将来の野菜は外国産が多くなるのかなあ。

少々、不安気味。

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夢のようなイタリアとフランス

女性にとって憧れの国がイタリアとフランス。

ヨーロッパの農業はどうなっているのだろう?

農村女性はどうなのだろう?

その疑問以上に心を満たすのは、「どんな国なのか、もうすぐ見れる!」だった。

もうすぐ・・・といっても13時間も飛行機に乗るのだ。

私は、6時間以上は空を飛んだことがない。

しかも、強度の高度恐怖心ときている。

そこで登場するのが、「できる、できる」の自己催眠の願いだった。

飛行機に乗っている様子を頭に描き、自分は大丈夫だと思い込ませる。

笑い事に聞こえるかもしれないけれど、案外とこれが効くのだ。

人前でしゃべる時も、私は必ず「できる、できる」を心の中で繰り返す。

不思議と自信がついて、本当にできてしまうから笑い事では済まされないのだ。

絵葉書を見るようなシベリアの山々を眺めているうちにミラノ空港に着いた。

やった~! ポンポンにむくんだ足を引きずって夢の第一歩をふみ出した。

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2007年3月 5日 (月)

「姉ちゃんは無事に帰ってくるぞう!」

明日が出発という時に、畑に出ていたお義父さんが何やら抱えて帰って来た。

「姉ちゃんは(私のこと)無事に帰ってくるぞう!」と言いながら、胸には亀を抱いていた。

聞くところによると、畑からの帰り道に亀が道路を横断していたそうだ。

縁起の良い亀がいたことで、おじいさんは満足気!

遠い外国に行くのだから、もしものことを考えずにはいられなかったのだろう。

じゃあ、この亀さんは福の神だね。

なんとなく、私もホッとした気分になれた。

鏡台の中に忍ばせたお気に入りの写真はムダになるだろう。

もちろん、ムダになったほうが良いのだが・・・。

初秋の出来事であった。

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2007年3月 4日 (日)

農業研修の説明会

イタリアとフランスは目の前!

何度か説明会と勉強会を開いたら、一緒に行く人達がみんな仲間になってきた。

旅行まで1ヶ月もあるというのに、もうずう~っと一緒に過ごしてきたような錯覚を起こした。

男女あわせて15人の小グループである。

一口に農業といっても種類がたくさんある。

稲作、果樹、野菜、加工品、畜産など等、10本の指に収まらないほどである。

規模も様々で、大規模から小規模までバラバラだ。

そんな集まりが一つになって、同じ目的に向かってスタートしようとしている。

仲間意識が芽生えて当然である。

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2007年3月 3日 (土)

私に自信をつけてくれた言葉

大阪から田舎に帰って来てまもなくのことだった。

「プラス思考実践セミナー」という講習会に参加した。

自営業の人がほとんどで、農家は私ひとりではなかったかと思う。

講習会が始まってすぐに、ちょっとしたテスト(体力的な)をした。

できなかった人が100%だった。

ところが、2時間の講習会の後に同じテストをしたら、ほとんどの人がクリアした。

今でも不思議でならない。

自己催眠ってこのことなの?

ここで一部を紹介しよう!

 できる できる できる
 気をいれてやれば きっとできる
 1パーセントの疑いも持たず
 気をいれてやれば 必ず目的は達成できる

 できる できる できる
 気をいれてやれば 必ず願望は達成できる

 できる できる できる
 きっとできる きっとうまく行く 必ず道は開ける

 

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「あなたは嫁なの?」

あの頃、よく聞く言葉で「あなたは嫁なの?」というのがあった。

誰のことでもない、私に対してなのだ。

主人より私の方が会合に出かけることが多いし、行事にもよく参加するからだ。

夫は、黙々と農業をするのが好き。

私は、羽ばたいて農業をするのが好き。

二人合わせてちょうど良い加減だ。

「嫁なら遠慮して出ないと思うのだけど・・・」

だから、農業をする女性がいなくなるのよ!

しかも、農家の後継ぎの嫁になる人も年々減るいっぽう。

昔と今とでは違うのだ。

私がいい見本になるから、私を見てちょうだい!

なあ~んて、大それたことを言いながらも少しずつ農村のイメージが変わったことを実感しているのだ。

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2007年3月 1日 (木)

そうと決まれば・・・

よし! ダンナが参加費用を出してくれるというから、ヨーロッパに行こう!

イタリアとフランスの二国だった。どちらも女性には大の人気国だ。

新婚旅行のパスポートは切れている。

先ず、パスポートからそろえなくてはならない。

そうと決まれば何かと忙しくなる。説明会も1回や2回ではなかった。

当時の流行り文句に「スイートテンダイヤモンド」というのがあった。

結婚10周年の記念に贈るダイヤモンドのことだ。それも、10個もついているやつ。

私にとって、どんなに高価なダイヤよりもイタリアとフランス旅行が嬉しかった。

こんなに簡単に「行って来い」と言ってくれる家はあるのだろうか。

私は幸せもんだなあ~と思った。

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結婚10周年記念

「アッ! そういえば忘れていた」

主人が言い出したことは、結婚10周年の特別行事のことだった。

私は、いつもプレゼントをもらっていたから、特別に考えていなかった。

「アレに参加するか?」

アレというのは、ヨーロッパ農業研修旅行のことだった。

今までは男性のみ参加と決まっていたが、この度から女性も参加できるようになった。

まさか私が・・・とは思ったけれど、誰か後押しをしないとなかなか決断しきれないでいた。県からいくらかの補助金は出るものの、ちょっと高額すぎる。

「ちょっと考えてみるね」と言いながらも、心はすでにヨーロッパに飛んでいた。

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