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2007年4月の39件の記事

2007年4月30日 (月)

ただ眠いだけ・・・

誰かが必死に私を呼ぶ。

こんなに眠いのに起こすのは誰?

11時間の手術を終えた私を見ている顔・顔・顔!!

「よく頑張ったなあ」と母の声。

主人も子供たちも何かを言って、私を覗き込んでいる。

もうひと眠りさせて、お願いだから!

私の手術の一部始終をビデオに写したらしくて、先生は疲れているにもかかわらず説明をしてくれたそうだ。

時には早送りして、時にはストップして、手術の経過を説明してくれたそうだ。

「95%の腫瘍は取りました。あとの5%は奥にあって、これを取ると後遺症が出るので放射線治療をします」

とれるだけの腫瘍は取ってもらった。

私の年齢を考えて、後遺症の残らない方法を選択してくれた。

先生の説明を聞いて、家に帰ったのは夜中の1時過ぎだったそうだ。

私は、ただ眠いだけ・・・悪いけど、もう少し寝させてね。

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2007年4月29日 (日)

頑張るのは先生でしょうね

両手のピースは、きっと「頑張ってね」と言われたからだと思う。

頑張るのは先生でしょうね。

私は眠っているだけだから・・・。

「長丁場になるからね」とペットボトルを2本持って手術室に入った先生。

コーヒーとお茶の大きなペットボトルだったという。

娘には、「お母さんよりも重症の人も手術したから心配しないで」と言ってくれた先生。

待っている家族も大変な時間だったと思う。

外は大雨。病院と家までの1時間30分ほどを2往復したという。

自営業だから、農業だから・・・収穫と配達の用意がある。

野菜の成長は休んではくれないから、仕事をするために雨の中を行ったり来たりして、無事に手術が終わるのを待っていたそうだ。

何かをしていないといられないよね。

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2007年4月28日 (土)

準備OK!

「8時に階下の床屋さんに行って来てください」

「丸坊主ですか?」と聞いたら、先生はなんと言ったと思う?

「そうやなあ。必要な部分だけにするか」

と言って、私の頭皮に線を引いた。剃ってほしい部分をマジックで印をつけたのだった。

頭の手術は丸坊主と思い込んでいたからビックリした。

「スカーフを持っていくといいですよ」と看護士さん。

なんで? ああそうか! エレベーターに乗る時に恥ずかしいからやな。

私はどうでもいいのだけど・・・あまりにも看護士さんが言うのでタオルを一本持った。

帰りは姉さんかぶりでもしようかなあ。

頭の右方向から突入するらしくて、みごとに右側が剃られた。

床屋さんは、「先生は名医だから大丈夫ですよ」と言ってくれた。

部屋に戻ると家族と実家の母親が待っていた。

ブルーの手術着の下は、大きなオムツ。

私ってLLサイズなのか・・・こんなに大きいのをつけるのか?

準備OK! と思いきや、大きな注射をされた。

どうやら部屋から麻酔をかけるみたい。

勝手な想像だけど、「ヤダ~!」と言って逃げる人もいるのかな。

麻酔が効かない! と思っていたのは自分だけで、まわりの人たちは「効いてきた」と感じたらしい。

後は意識不明の状態だったから、何を言ったのか、何をしたのかわかっていない。

わかっていることは、部屋を出る時に両手でピースをしたこと。

これも自分ではわからなかったが、みんなが言っていた。

「こんなピースをする患者さんは初めて」

あとは野となれ山となれ・・・か。

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2007年4月27日 (金)

「研修医に見学させてもいいですか?」

研修医を手術室に入れることに反対する人がいるのかしらね。

私の了解が必要だそうで・・・「私はぜんぜん平気ですよ」と答えた。

眠っている間に何をされようが、誰が見ようが構わない。

何人でもH先生の手術を見て勉強してほしい。

さすがに私も、手術の前夜は眠れなかった。

あいかわらず、右ばかりが不都合である。

少し眠ったかと思えば目が覚める。まるで、大きな釘を右腕に打たれたような痛さだった。

釘を打たれて動けなくなった気がした。

というわけで、朝になるまで熟睡できなかった。睡眠時間が少ないと麻酔も良く効くだろうと前向きである。

さあ、いよいよ今日か!

まだ夢を見ているようで信じられないが、確実に今日は手術の日。

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2007年4月26日 (木)

1週間延びた・・・

予定していた手術の日が、来週になった。

ちょうど1週間延びたのだ。

先生の都合により・・・かもしれないのに、良いことは思わない。

主人は、よほど手術が難しいからだ、と思っている。

私は、「なあ~んだ、来週になったのか」程度なのに・・・。

前もって、10時間はかかることを聞いていた。

私は、人間学講座というのをかじったことがある。

ある、ではなくて現在進行形だ。

そこで学んだことを思い出していた。

自分の身におきることに不必要なことはない。
(何事にも必要があっておきた、ということ)

試練は、乗り越えられる人のところにやってくる。

私も家族も大海原に小船の気分。

ボンヤリ過ごす人間(私)と、必死に時間と戦っている人間(家族)がいる。

まるで「別世界」を意識してしまう。

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2007年4月25日 (水)

もしかして、みんなに迷惑?!

考え始めると、「私って、みんなに迷惑かけているのだ」と思わずにはいられない。

仕事のこともそうだけど、介護のこともそうだ。

娘を退職させたのも私。息子をどこにも研修に出せなくなったのも私。

野菜の収穫に配達・・・すべてのことに迷惑をかけている!

せめて、今のうちにスーパーの請求書を2通だけ書こう・・・そう思って、1日だけ帰って来た。

配達のパートさんには、時間だけはちゃんと書くように頼んでおいた。自己申告ということになる。

1日はすぐに過ぎた。

もしかして、私の入院はみんなに迷惑をかけているなあ。

忙しいのに、帰りは主人が病院まで送ってくれた。

「頑張れよ」 と私の後姿を見てそう言った。

何をどこまで頑張るの? 私は頑張るのをやめたのに・・・。

ベッドの中で泣けてきて困った。

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2007年4月24日 (火)

神様がくれた休日

こんなにのんびりと休んだことがあるだろうか?

盲腸は学生の時だったし・・・・後は、出産の時かな。

どちらも、将来が約束されている1週間あまりの休日だった。

でも、今度のは違う!

神様が「いい加減にこの辺で休みをとれ!」と言っているようだ。

結婚してから走りっぱなしの生活だった。

農業が嫌いだったくせに、自分で売ることが楽しくて毎日が忙しかった。

「てんてこまい」という言葉がピッタリのような気がする。

娘が言っている。

「おかあさん、毎日これだけのことしてたん?」と、仕事量の多さに驚いている。

私は、大きな勘違いをしていたよ。

毎日が忙しいから充実していたとは限らない。

ただ時間が足りないほど働いていただけじゃないのか?

今までやってきたことを、「改めて考える」という時間を神様が与えてくれた。

どんなにしんどい時でも、配達をする時は笑顔で元気よく・・・家に帰ったらバタンキュウ!

こんな毎日にストップがかけられた。

私は、農業について、子供のことについて、家族のことについて等・・・いろいろなことを第三者の側から考えている。

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2007年4月23日 (月)

やっぱり手術!

もしかして・・・という期待はあったけれど、やっぱり腫瘍摘出しか方法がないみたい。

手術の日が決まった。

それからというもの、看護士さんは「夜、眠れますか?」と毎日のように聞いてくる。

眠れない患者が多いみたいで、そのような人には睡眠薬を与えるそうだ。

私は、手術の不安より、痛みからの解放が嬉しくて熟睡している。

持ってきた本やテキストなどは、昼間に充分すぎるくらいに読んでいる。

だから、疲れて夜は寝るしかないのだ。

おかげさまで勉強もできるし、手記も書けるし、入院生活を満喫しています・・・と言ったら叱られるかな?

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2007年4月22日 (日)

娘に大助かり・・・だそうです。

病院を退職させてしまったのは悪いと思っているが、今回のことでは娘に大助かり!だそうだ。

食事のこと、野菜を収穫して袋詰め、配達そして朝市。

おばあちゃんの介護は慣れている、としても朝市に出店はどうかと思う。

楽しいこともあるだろうが、嫌なことや我慢できないことも多々あるはずだ。

朝市は、不特定多数のお客さんが歩く所だから、中には「常識の無い人」もいる。

私は、病室で朝市の売り上げやグチを聞く役目だった。

個室で良かった! 電話があるから・・・。

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2007年4月21日 (土)

患者の立場

患者になって初めてわかったことがある。

それは、お医者さんのため息ひとつにも敏感になるということ。

何気ないため息や考え込みが、「そんなに深刻な病気なの?」というくらいに神経質になっている。

先生にとっては、なんでもないことかもしれない。

「う~ん、どうしようかなあ」と考えているだけなのかもしれない。

ある時、私がとなりの診察室で血圧を測っていると、「あ~あ、やっぱり神経にくっついているなあ」と大きなため息がした。

よほど、神経にべったりの腫瘍はやっかいとみえる。

お医者さんは患者を診るけれど、患者はお医者さんを観察している・・・なんとも妙な関係なのである。

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2007年4月20日 (金)

娘の退職

私の入院と同時に、娘が退職して帰って来た。

金沢市内の病院で、老人介護の仕事をしていたのだ。

娘は、お年寄りが大好きなので介護の仕事を選んだのだった。

それなのに、あっさりと辞めて帰って来たのだ。

理由は、他人の世話をするより母親の世話をする。

そして、家が自営業であること。主婦が欠けるとやっていけないことを知っていた。

子供の頃から、農家の生産と販売がどれほど大変なのかを身をもって経験しているからだ。

世間が連休などで遊ぶ頃がちょうど農繁期にあたる。

わが家は、母親の仕事が農業だけでなく、家庭の中でも大きな位置をしめている。

おばあちゃんの介護も必要。

娘の決断は、本当に有難かった。そして、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

これは、自営業をしているものしかわからないことだ。

一人が欠けると、大変さが三倍にもなるのだ!

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2007年4月19日 (木)

検査ばっかり、いつまでするの?

検査ばかりで嫌になってきた。

痛みの発作は、いっこうに良くならない。

だったら、腫瘍が見つかっているのだから、早く取ってください!と言いたい。

土・日は検査も休み。

久しぶりに家に帰ってパソコンのメールをチェックした。

たくさんのメールに驚いた。「これは、ちょっと私が留守にすることを言っておかなければならない」と思った。

あらっ! 宮ちゃんからだ。

・・・検査の結果、またポリープが見つかって内視鏡でとった、と書いてある。

しばらくは調子が良かったのに、また出始めたらしい。

近況報告を約束したから、私も自分の症状を書いて返信した。

「私たち、病気が治ったら会おうね」と宮ちゃんからの返事。

病気持ちの二人が・・・いつ治るのかしらないけれど、絶対に会おうね!

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2007年4月18日 (水)

飛び込んできた先生

検査、検査の毎日だった。

そこで再発見! 頭の検査は、ぜんぜん痛くないしラク~なことがわかった。

内臓の場合は、痛かったりするんじゃないの? 経験ないから知らないけど・・・。

あっ!一度あった。胃カメラを飲んだの忘れていた。

貧血がひどくてね。 胃潰瘍かもしれないからカメラで検査してください、と言われたことがある。 家の近くの医院だった。

胃カメラはしんどかった! 結局は、どこも悪くなくて「きれいな胃ですね」とほめられた。

こんなことなら胃の検査なんかしなけりゃ良かった、などと思ったりする。

夜の9時頃だったと思う。

ノックもしないで、H先生が私の部屋に走ってきた。

「もしかして、手術しなくても治るかもしれない」

先生は嬉しそうだった。

だから、私も「手術しないのだったら嬉しいです」と答えた。

それよりも、こんな時間まで私の頭のことを考えてくれていたのかと思うと嬉しいやら申し訳ないやら・・・。

どうすればいいのかをずっと考えていたのか・・・有難いことだ。

私は「まな板の鯉」状態。

先生は、言うだけ言って出て行った。私は、眠りの続きに入った。

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2007年4月17日 (火)

神経にベッタリと・・・

私の腫瘍は、脳の神経にベッタリとついているみたいだ。

神経といえば、身体の各部と連絡する器官だということは誰でも知っている。

嚥下(飲みこみの神経)・聴覚・視覚・痛み・・・など、とても重要な場所にヤツはいた。

左右の耳との線と頭の真上から下の線がぶつかる所に宿しているらしい。

真ん中というより、少し右よりにあるから症状は右半分ばかりに出てくる。

どこにあってもいいから、先生おねがい!

早く痛みを何とかしてください!

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農業のせいじゃないよ!

主人は先生に聞いた。

「病気になったのは、働きすぎですか?」

「いや違う。これは体質です」

私の病気が農業のせいではないことを知って、少しは主人の責任が軽くなったことだろう。

体質といわれてもピーンとこないけれど、遊んでいても病気になる時はなるのだと思う。

でも、実家の母は「あまりにも働いたからや」と病気になったことを農業のせいにしている。

私の腫瘍は、2年や3年でできたものではないらしい。

おおげさにいえば、10年も前から出来始めはあったと思う。

症状が出てきたのが最近で、本当はずいぶん前からあったのだ!

それを知らないから、更年期障害かと思ったりして・・・女性保健薬やサプリメントを試していたが、いっこうに良くならないわけだ。

原因があってのことだから、ましてや脳腫瘍の場合は原因がはっきりしている。

それなのに、調べもしないで薬ばっかり飲んでいた愚かな私。

農業のせいじゃないよ! 遊んでいてもなっていたんだよ!

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2007年4月16日 (月)

忙しすぎると悲しくなる?

脳腫瘍のめまいは、グルグルまわるのではなかった。

自分の身体が宙に浮いているような感じだった。

食事の時、イスにすわっていてもお尻がついていないような、そのようなめまいだった。

こんなのは「めまい」と言うのだろうか?

ふっと我にかえって、「ダメだ!しっかりしないと・・・」と思いなおすと暫くは大丈夫。

運転している時もそうだった。カーブか直線かわからなくなって、知っている道だからこそ無事に帰ることができたような気がする。

忙しかったんだ~。 今だから言うけれど、「このまま事故ったら入院して楽になる」と思ったこともあった。

バカみたいだね。あれほど忙しくなることを望んでいたのに・・・。

望みは達成するまでが楽しくて、望みどおりになった時には苦しくなるんだね。

「忙しい」という字は、心を亡くすと書くでしょう?

私、今、心を亡くしてる・・・明日からは、休日だ!

やった~!!

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薬も効かないなんてね

それにしても、病院からもらった薬も効かないなんて・・・あいかわらず、日常生活が普通じゃなかった。

少しの合い間にすばやく仕事をしていた。

狭いながらも事務所の片付けもした。 後の人がわかりやすいように・・・。

この時に思ったことがある。

家族経営協定で、役割分担をしたこと・・・はたして良かったことなのかどうか。

私の仕事は私しかできないことが良いことかどうか。

みんなが、誰の仕事でもできるようになっていたほうが便利なこともある。

薬も効かない腫瘍ってどうなっているの?

もうパソコンで調べる気力もなくなっていた。

「明日、先生に聞こうっと」

そうっと、いちばんお気に入りの写真を鏡台の中に忍ばせたことは誰も知らないはず。

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2007年4月15日 (日)

あとはお願いね!

仕事のこと、家事のこと、事務のこと・・・そして、おばあちゃんのこと。

私がいなくなることに関しての家族会議が開かれた。

なんとかするから、ということに決まった。

あと1週間もないんだよ。 みんな、なんとかできる!とは言うけれど心配。

とりあえず、息子にトマトの袋詰めを教えた。

キュウリは簡単だけど、トマトは袋詰めが難しい。

息子は、私に似て(?)器用な方だから上手に覚えてくれた。

おじいさんは、80才になって洗濯機の使い方を覚えた。

おばあちゃんの食事は主人が作るらしい。

あ~あ、本当になんとかできるの?

「個室が空きましたから、明日にでも来てください」

お待ちかねの電話がついにきた。

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小旅行のつもりで・・・

私は、自分の入院用具を自分自身でそろえた。

まるで小旅行の用意をするかのように買い物に出かけた。

日頃から「読みたい!」と思っていた本もカバンに入れた。

そして、農業簿記の本も・・・これには、何年も挫折している課題だ。

どうしても、忙しくなるとパソコン簿記に挫折してしまうのだった。

どれだけ勉強するつもりなのか、「農業労働管理専門家養成講座」のテキストも用意した。

なぜか開き直ったら妙に勉強したくなって、神様がくれた休日のような気がするのだ。

こんなことは二度とないからメモしておこう!

叱られそうだけど、大学ノートと鉛筆も忍び込ませた。

だって、貴重な体験でしょう?

人生で一度限りかもしれないんだよ。 二度あったら困るけれどね。

あれほどインターネットで調べていたのに、先生からはっきり言われたらどうでも良くなった。いくら調べても解決するわけではないのに、お医者さんの一言で私は変わった。

あの先生にお任せしよう!
自己流に調べたところで何になる。

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2007年4月14日 (土)

「脳腫瘍ですね」

いとも簡単にH先生は言った。

「これは脳腫瘍です」

この言葉を聞いてスッキリした。 長い間の便秘が解消された時のような気持ちになった。私はこの病名を待っていた。というより、インターネットで調べて半分は覚悟していたからだ。

いっしょに行った主人は、スッキリどころかショックもショック・・・大ショックだっただろう。

H先生は、私に「症状を全部おしえて」と言ったから、これこれしかじかで日常生活ができません、と思いつくままにしゃべった。

「痛かっただろうなあ。ずいぶん我慢したんだね。激痛やからなあ」

この言葉を聞いた時は涙が出そうになった。

「やっと私の痛みをわかってくれる人に出会った」

もう我慢しなくてもいい。この先生の前では、すべてをさらけ出してもいい!

まだ痛みを治してもらってもいないのに、神様に出会ったような感じがした。

私の心を知ることもなく、主人の顔色は真っ青だったのだと思う。

先生は、紙に「良性の」と書き加えた。

「2週間ほど仕事を休めるか?」

2週間なら夏の忙しい時期に間に合うから「ハイ」と答えた。

「1週間以内に入院してもらうから、そのつもりで用意をしてください」

信じられないけれど、信じないわけにはいかない。

病名がはっきりして良かった。スッキリ気分の私と、どん底気分の主人。

これからどうなるのだろう。あと1週間以内か・・・。

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ついにここまで!

朝おきたら、私の耳が聞こえないことがわかった。

ぜんぜん聞こえないのではなくて、遠くからカセットラジオみたいに聞こえてくる。

でも、自分の声の音量がわからないから・・・これは変!

耳がつまったような、そして痛みも少しある。

私は、ついにここまで来たか!と、やっと重い腰をあげた。

とりあえず、近くの総合病院の耳鼻科に行った。

そこで初めてMRI(磁気共鳴画像法)という検査をした。

先生の言葉は、「あなたは結婚していますか?お子様はおいくつですか?」

なんともチンプンカンプンな質問だった。

でも、これでなんとなく良くない病気だと感じたのだった。

耳鼻科の先生は、レントゲン写真と紹介状を渡してくれた。

「○○病院の脳神経外科に行ってください」

脳神経外科なんて、一生行くことはないと思っていた。

翌日、主人と二人で自宅から1時間半ほど先にある総合病院に行くことになった。

なんて書いてあるのだろう? 

中を見たかったけれど、どうしても開けられないようにしてあった。

レントゲン写真も手紙も、もらったままの状態で抱きかかえて行った。

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2007年4月13日 (金)

そういえば・・・

そういえば、息子がいない時に「家族経営協定を結んでからのアンケート」があった。

その後はどうですか? という内容で、3人の調査員が来てくれた。

まさか、家出しましたとも言えず「研修に出しました」とだけ言った。

会社名も何度か聞いたが忘れた。内装の仕事をする、とか言っていたけど。

誰のせいにもしたくないけれど、また病院に行くのが遅れたことは確かである。

ナスの定植をしながら、「明日にしようか、あさってにしようか」と迷っていた。

「もしも、私がいなくなったら・・・」とよほど重要人物であるかのごとく考えたりした。

私は、自分では「勇気がある」と思っていた。

でも、今度のことで「本当は勇気がないから病院にいけない」ことがわかった。

自分自身の再発見!!

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よくやったね!

夜おそくに車の音がした。

私たちは玄関にとんでいって車から降りて来るのを待った。

血だらけになっていたらどうしよう。

考えることは全部悪いことばかり。

ところが! なんとニコニコとしているではないか。

社長はわかってくれたようだ。

そして、「農業がんばれ!」と言ってくれたそうだ。

せっかく一人暮らしをしようと思っていたのに・・・それは残念だったね。

でも、私たちには「ラッキー!」だったよ。

いやな気持ちで運転していったのだろうと思うと、ちょっと可愛そう。

短い間だったけれど、きっと1年分ほどの経験をしたんじゃないかな。

人生に希望を失った人が、その社長に救われて仕事をさせてもらっている。

いろいろな人がいることがわかっただけでも研修になったね。

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2007年4月12日 (木)

どうなってもしらないよ!

熟睡したのか、午後も遅くなってから「謝りに会社に行ってくる」と言い出した。

私たちはびっくりした。

夜逃げ同然に荷物をまとめて出てきたから、相手方は相当怒っていると思う。

理由も言わないで、突然にしていなくなるのだから怒って当然だ。

「今、行ったらボコボコにされるよ」と行かないほうをすすめたが、息子はちゃんと謝ってくると言うのだ。

車で2時間もかかる所を今から?

きっと殴られるよ!

何を言ってもダメだった。 

「ケリをつけてくる」と出て行った息子は、たしかに成長したと思う。

私たち親以上に緊張感がはしっていただろうが、ものごとの締めくくり方に気がついたことは親として嬉しい。

でも、どんな姿で帰ってくるのか・・・帰るまで心配でならなかった。

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2007年4月11日 (水)

それは夜明け前だった。

新聞配達とは違う車の音がした。

息子が血相を変えて玄関に立っていた。

「どうしたんや?」

「あんなところ、普通じゃない!」

どうやら、夜中の間に逃げてきたようだ。

ちゃんとした就職先ではない。友人の紹介で行ったところで、条件はすごく良かった。

でも、話を聞くと「訳あり」の人ばかりが働いているようだ。

とにかく、話は後で聞くから寝るのが先や!

息子は死んだように半日寝ていた。

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1日延び、2日延び・・・

私は、ご飯が食べづらくなってきた。少しでも口に入れると、それが引き金となって発作がおきてしまう。

冷たい飲み物も飲めなくなった。

そこで考えたのがストローである。ジュースなどの液体のものをストローで飲む。それもノドの奥深くまで入れて、なるべく口の内面にあたらないようにした。

ご飯がダメでもケーキならOK。

右側のホッペに触れないように、左を下にして飲み込んだ。

さすがに食いしん坊! なんとかして、食べ物を胃の中に入れようとしている。

息子がいなくなったことで、病院行きも1日延び、2日延び・・・。

1日1日をクリアすることで精一杯だった。

人間って、不便に遭遇すると便利な方法を考えるものだ、と妙な自信をもった変な私である。

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2007年4月10日 (火)

息子の家出

3月、4月と野菜の苗づくりに大忙し。

苗のピークは5月の連休。田植えと畑の植え付けがいっしょになってしまう。

わが家は、苗の卸と直販をしているので1日が30時間あっても足りない!

注文をきいた村には、早朝に配達することになっている。

早朝というのはハンパじゃない時間なのである。

現地に5時着だから、遅くても4時半には家を出なければならない。

家族経営協定の時期が悪かった。

いちばん忙しい時期に直面していたから・・・息子はキ・レ・タ!!

ある日、とうとう家を出て行った。

ちょっと働かせすぎたかな?

1年間は何をしても研修と思うことにしていた私たちは、ショックだったが「しょうがないか」とも思った。

どうか帰ってきますように! 

そう祈るしかなかった。

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2007年4月 9日 (月)

後悔すること

私は、めったに後悔というものをしない性格だが・・・ひとつだけ、とても申し訳なかったと思うことがある。

それは、ある職場の管理職の研修会である。

毎年、1週間ほど続く勉強会らしい。その期間中の1時間だけなのだが、私の時間があるのだ。

私は、学識経験者でもなく全く普通の農家の主婦である。

私の前後は、有名な先生の難しいであろう授業だ。

ホッと一息つきたいところを見計らって、レベルの低い授業をもってくるというわけ。

いつも呼んでくれるのに、その年はお断りをした。

いつもの発作がいつ出るかわからないからだ。

私自身も楽しみにしていただけに残念でならなかった。

そして、本当のことを言わなかったことを申し訳なく思っている。

たった1時間だけど、みんなで笑うことが楽しかった。

「だれか紹介してほしい」と言うので、他の人を2・3人紹介した。

楽しく、ホッとする1時間であればいいけれどなあ。

私じゃなくてもいい人がいっぱいいるでしょう。

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ちょっと頻繁になったかも!

たまにしか来なかった発作が、ちょっと短い間隔になってきたように思う。

顔や唇の痛みは通常のこと。

今度は、今までに経験したことのない激痛だった。

頭の内部から頭蓋骨を超えて外に出て行くような痛さだった。

歯磨きをしている時やシャンプーをしている時におきた。

時には、車を運転している時・・・クーラーを入れて、冷風が右のホッペに当たった時におきた。

「ああ、こんな時に救急車を呼ぶんだろうなあ」と思っているうちに発作が消える。

痛みは本人しかわからない。

自ら病院に行くしかない。でも、今のわが家は私が抜けると大変なことになる。

介護が必要なおばあちゃんはどうするの?

店に配達の伝票は誰が書くの?

野菜の袋詰めは?

いろいろなことを考えると、とても病院には行けない。

私は、入院を覚悟していたから日を選んでいた。

このまま治ってほしいなあ、と微々たる希望をもって生活していたのだ。

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2007年4月 8日 (日)

どこまで我慢すればいいの?

身体の調子もだんだんと悪くなってきたのがわかる。

頭痛薬も効かなくなってきた。

それよりも、唇のしびれが気になる。歯医者さんで麻酔を注射された時のような腫れぼったい感覚である。実際は腫れていないのだけど、まさにタラコ唇のようになっているような気がするのだ。

本当は、インターネットで調べて半分はわかっていた。

でも、何かの間違いかもしれないし、このまま治るかもしれないから・・・もう少し我慢してみる!

五十肩の時だって、「頻繁に注射はできないのだけど、どうしても我慢できなかったら来てください」と言われても、約束の日まで我慢していた。

ひょっとして、私って死ぬまで我慢する性格か体質なのかもしれない。

今の痛みも、2分間ほどで消えてしまって後は知らんふりしている。

発作さえおきなければ普通の人。

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みんなが不思議そうに・・・

「うまいこと、息子を残したなあ」とか「なんでや?」などとよく質問される。

本当にどうしてや?

きっと、おばあちゃんが朝市から帰ると孫の目の前で売り上げ金を計算していたからかも。時には、子供にお金を数えさせたりしていた。

おばあちゃんのお昼の仕事は、売り上げ金を数えることだった。

それに、私たちの野菜や苗の販売も現金商売である。

というわけで、子供は毎日のようにお金というものを見ていたからかもしれない。

農業って儲かると思ったのだろう。

誰もが嫌がる農家の後継者。

わが家は、すんなりと決まったものだから不思議でしょうがないのだろうね。

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2007年4月 7日 (土)

家族経営協定

せっかく給料や休日などを決めたのだから、家族経営協定というのを締結した。

輪島市ではわが家が最初だった。

息子が高校を卒業と同時に締結した。

市役所の会議室で、金屏風の前で親子でハンコを押した。

立会人は、市長と農林総合事務所長。

まことにおおげさだったが、ここまでしないと息子はいつまでも「お手伝い」扱いされるではないか。

主人が農業を始めた時、自分がハウスを建てたにもかかわらず、若いものだから「おりこうさんな兄ちゃん」だと世間は思ったらしい。

そのことが悔しくて、息子にはそのような思いをさせたくない、と日頃から言っていた。

家族経営協定書は、親子が1通ずつ持っていることになる。

農家も1経営体とならなければいけないのだ。

昔のように、ドンブリ勘定では経営しているとは言えない。

農家も経営者にならなくてはいけないのだ!

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2007年4月 6日 (金)

「父ちゃんが先生」

「なぜ、農業をしたいと思ったのですか?」

「儲かるから。 それに、やればやっただけの成果が見えるから」

(ふむふむ・・・朝市を経験したからだな)

「せっかく農業高校の先生が推薦してくれるというのに、進学はいいのか?」

「父ちゃんが先生や」

農業への意気込みを熱く語るその目は、かつて私が主人にひと目ぼれした時のようなイキイキとした目だった。

父ちゃんが先生! これ以上のいい言葉はないではないか。

就職内定の通知を出したことは言うまでもない。

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2007年4月 5日 (木)

息子よ、これでどうか?

給料、休日、就業時間などを書いた「わが家の就職案内」を作った。

給料は・・・そこそこ。 休日は、月6日。

就業時間は・・・そこそこ。 いや、季節に応じて多少のズレはある。

その他、1年間は研修期間として異業種の仕事をしても給料は支払う。

笑われそうだけど、面接という入社試験がある。

使う側としても、なぜ就職したいのか・・・とか、将来の夢とかを知りたいのだ。

息子よ! よ~く考えて決めてくれ!

合格させてやるから、受験をたのむ! 

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2007年4月 4日 (水)

就職案内? よっしゃ!!

そろそろ息子の進路を決める時期がやってきた。

農業高校を卒業したからといって、みんなが農業をするわけではない。

むしろ、農業をする人の方が珍しいくらいだ。

先生は、東京の農大を推薦しても良いとまで言ってくださったが、私たちは気乗りがしなかった。

というのは、入学をしても勉強についていけないのでは?と思ったからだ。

そして、都会に出てしまえば就職も都会にするかもしれない・・・とも考えたからだ。

ありがたいことに、本人も全くその気はなさそうだった。

「とうちゃん、就職案内ってやつを出してよ」と息子が言った。

わが家の? 就職案内を?

よっしゃ! まかせとけ! 精一杯の好条件を出してやるぞ。

私たち親は、ここぞとばかり「就職案内」の中身を考えたのだった。

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2007年4月 3日 (火)

激痛!!

それは突然やってきた。

顔の右半分に剣山を押し当てたような痛さ。

何だろう、この痛さは?

じっと我慢していると2分間とかからずに消えた。

消えたのだから、なんでもなかったのだろう。

「?マーク」をいだきながらも、いつもの私にもどった。

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久しぶりに宮ちゃんからの手紙

長い間、手紙もメールも来なかった宮ちゃんからの久しぶりの手紙。

読んで驚いた!

腸閉塞になっていた、という。 やっぱり、腸が短い分だけ食事の量にも気をつけなければいけないのだ。
ついつい食べ過ぎてしまうと言うのだけれど、普通の人の半分も食べていないはずだ。

少量をゆっくり食べる・・・私にはとてもマネできないことである。

久しぶりの手紙は、ちっとも楽しくもなんともなかった。

私も病気かもしれないのよ、宮ちゃん!

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2007年4月 2日 (月)

その言葉は・・何それ?

「三叉神経のいたずらですね。どこに原因があるのか調べることをおすすめします」

?「 さんさしんけい」って何なの?

家に帰ってさっそく調べた。

三叉神経は、脳にたくさんある神経のひとつで最も大きな神経であることがわかった。

頭・顔面・鼻・口・歯・その他諸々の仕事をする神経である。

私は、場所が「脳」であることに愕然とした。

今までの女性保健薬を選んで飲んでいたのは無意味だったのか?

でも、まだそんなに痛くはない。だから、そのうちに治るかもしれない。

そう思って相変わらず、ドラッグストアでクスリやサプリメントを買いあさっていた。

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2007年4月 1日 (日)

歯が痛いのに・・・違うの?

頭痛のついでに歯まで痛くなってきた。

お豆腐をかんでも痛い! とにかく、歯医者さんへ行こう。

歯医者さんだけは好きになれないけれど仕方がない。

「先生、痛い歯を抜いてください」 と清水の舞台から飛び降りる覚悟でお願いした。

一応レントゲンを・・・「どこも悪くなっていませんよ」

「でも、とてもとても痛いのです」

しばらく考えていた先生は、「これは歯からきている痛さではありませんよ」

だって、歯が痛いのは本当なのですよ! それなのに、違うってどういうこと?

私は、ここで知らなかった言葉を聞くことになった。

初めて聞く言葉だった。

「10年前にも同じような患者さんがいましたよ」

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