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2007年7月の14件の記事

2007年7月27日 (金)

電話がこない!

Takuro 「電話のかけ方、知らないのかなあ」

毎日、今か今かと待っているのに・・・ぜんぜんベルが鳴らない。

私は、パソコンで向こうの天気予報を見て一喜一憂している。

こちらから相手方の電話番号を回せばつながることはわかっている。

でも、そんなことをしたら息子に叱られる。

半分あきらめかけたある夜、ついに電話がかかってきた。

まるで隣の家にいるみたいだった。

何度か海外から電話を受けた時があるけれど、「遠い!」と感じる場合や「な~んや、普通だ」と感じる時がある。

オーストラリアからの電話は、本当に近くにいるようだった。

英語がわからなくても不自由はしていないらしい。

同じ人間だもの。心は通じるし、言わんとすることはわかるもんだよ。

ホッとした私は、ルンルン気分で眠りについた。

みた夢は・・・もちろん、オーストラリアの大自然!

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2007年7月24日 (火)

私だってホントは・・・

みんなが各々行動に出始めた。

それだけ私が元気になったということだ。

だけど・・・ホントは私だって、行きたい所があったのだけど仕方ない。

病院で勉強した「農業労働管理専門家養成講座」のスクーリングだ。

場所は東京で3泊4日の日程だった。

スクーリング参加で最後まで勉強したことになる。

私は、とても体力に自信がなくて断念せざるを得なかった。

後で、参加した人に聞くと「とてもハードな内容で、夜は懇親会があったりして大変だった」らしい。

やっぱり行かなくて良かった、と思った。

1泊でもやっとの身体が勉強しながらの3泊4日はとても無理。

少しずつ、私の行動範囲は広がってきたけれど、長時間・長距離は恐る恐るだ。

心から「行ける時に行っておいで」と言えるようになったのもこの頃からだった。

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2007年7月23日 (月)

大丈夫なのかな~

研修旅行といえば、団体で添乗員プラス通訳付きが当たり前と思っていた。

ところが、息子の場合は2人しか行かない。それも、一人ずつ別々の場所になる。

オーストラリアまでが二人いっしょで、飛行機の乗り換えで別々になる。

向こうに着いてから、ホームスティ先の人と初対面!

ホントに大丈夫なの?

成田空港からが最後の電話。

「広すぎて、待ち合わせのA君が見つからない」

A君は、いっしょに研修に行く農業青年だ。

私の心配は頂点に達した。

こんな時は寝るしかない!

明日、目が覚めれば息子はオーストラリアに到着していることだろう。

「ナンマイダブツ・ナンマイダブツ・ア~メン」

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2007年7月22日 (日)

息子の海外研修

娘も再就職したら、息子にも海外研修の話が舞い込んできた。

ああ、私は大丈夫なのだろうか・・・ちょっぴり不安。

子供たちが活動し始めたのだ。

海外研修は、オーストラリアで約1ヶ月間続く。

ホームスティだから、安心といえば安心だけど・・・いくら農閑期の1月中といっても1ヶ月も家を空けるなんて、今までになかったこと。

「行ってくればいいよ」と家族は賛成した。

あとは本人が返事をするだけだ。

1週間程、考えたあげくにOKの返事をしたらしい。

さあ、それからが大変!

県の行事だから何かと県庁に集まりの拠点をおく。

出発までの2ヶ月程、勉強会も何度かあった。

知らないより、知っていたほうが面白いもんね。

楽しく行ってくればいいよ!

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2007年7月21日 (土)

ほんとにもう!

6ヶ月間、注射をすると半分の大きさにまで小さくなる子宮筋腫ちゃん。

でも、休憩中の6ヶ月間でムクムクと太るバカ筋腫。

「ほんとにもう!」

婦人科の先生は、「1センチ角までに9年かかる」と言う。

その後のスピードが速いのだ。

「3年で10センチ角に成長する」らしい。

私の計算でいけば、やっぱり脳腫瘍に一生懸命になっている間の出来事に間違いない。

もういちど言おう!

ほんとにもう~」

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2007年7月20日 (金)

「お母さん、元気になったね!」

私の回復が順調で、ある程度の仕事ができるようになったころに娘は介護の仕事に戻った。といっても、自宅から通える場所にしてくれたので、わが家にとっては幸いだった。

介護の仕事は、時間も不規則で忙しいわりには給料は安い。

娘は、好きでこの仕事を選んでいる。

だから、私には何も言う権利はない。

「今まで、家の仕事や農作業などをしてくれてありがとう」としか言えない。

朝市まで行ってくれて、私の代わりを充分に果たしてくれた。

私も少しずつ自立していかなければならない。

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2007年7月19日 (木)

なんでそんなに笑えるの?

「脳梗塞の特徴として、泣く人と笑う人がいます」

先生の言葉どおり、わが家の義母は「笑う人」である。

目があうとニッコリとする。

わかっているのか、わからないのかがわからないけれど・・・ニッコリしてくれる。

たぶん「、泣く人」も泣きたくて泣いているのではないと思う。

自然と顔がそうなるのだろう。

私が面会に行くと、ニッコリと微笑む。

スタッフが「誰なのか教えて?」と聞くと「嫁さん」と言う。

そして、また笑う。笑い顔を見て私も笑う。

義母の笑顔で私は救われる思いがする。

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2007年7月15日 (日)

昔の考えと今の考えの違い

親を施設にお願いすることに対する考え方の違いがはっきりしている。

昔は、「恥ずかしい」といって、近所にすごく気を使っている。

気を使うというより、みえをはるといったほうが近いかもしれない。

親の状態でさえ、正直に言わないで隠すようにしていた家庭も多かったらしい。

でも、今の世の中は生活がかかっている。

親の介護をしていると、自分たちが働けなくなって収入がなくなる。

わが家だってそうだ。

仕事の合い間に、部屋をのぞいて「寝ている」と思えばそのままにして仕事に戻る。

これじゃ、まともな介護とはいえない。

お風呂に入れる時も、オムツ交換の時も、専門知識のない者には大変な重労働である。

私より、介護資格をもっている娘の方がず~っと上手である。

しかも、楽そうなのだ。 私は、汗だくになって何かをしていても、娘は気楽にやってのける。

この違いは高齢者にとっては大きな違いである。

家で介護をする、といっても上手・ヘタは別である。

わが家は、とても上手とはいえない。

寝たきりになるのが目に見えている。 それならば、専門家にお願いしたほうがいいだろう。お金にかえられないものがある。

おばあちゃんの負担も考えて・・・昔の人には考えられないかもしれないけれど。

これが現代の介護のやり方なのだ。

私たち夫婦は、配偶者であるおじいさんにわかってもらうのにちょっぴり時間がかかった。

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2007年7月13日 (金)

「ばあちゃん、ごめんね」

「お迎えの車が来たよ。ばあちゃん、行くよ」

そう言っても何も反論しないのがかえって辛い。

でも、なんとなくわかっているのだろう。いつもの笑顔がない!

車椅子で長距離はしんどい、ということで乗用車だった。

後ろの席に私とおばあちゃんが座った。

時々、倒れそうになる義母を押さえる役目の私。

自らは何も言わない。たまに相づちをうつくらいの会話しか出来ない。

ところが、15分も経っただろうか。たしかにおばあちゃんの目が涙っぽかった。

本人は、さかんに目をこすっている。

「目がかゆいのかな?」

そう言ったものの、たぶん、涙が出てきたのだろうことはわかっていた。

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2007年7月12日 (木)

義母のこと

私が病気になって、普通なら介護の必要な義母を施設にお願いするだろう。

ところが、今になって思えば「よく面倒をみた!」としか言えない。

娘も帰ってきてくれたのは、農業が忙しいからとおばあちゃんの介護のため。

とは言っても、夏場のハンパじゃない忙しさ!

どうやって毎日を過ごしたのだろう?と不思議で仕方ない。

あの時のことを聞いても、誰も覚えていない。

一時的な記憶喪失になっているのだ。

それほど、ハードな毎日だったということだ。

そして、なんと! 私が退院してから、やっと施設にお願いしたのだった。

すでに、介護度5のレベルだった。

私では介護は無理!と家族が思ってくれたのだった。

我が子の名前は何度も書いたけれど、親の名前を持ち物全てに書くようになるとは思わなかった。

たしかに、申し込みしてからの準備も大変だった。

これでは、私がいないと準備もできなかっただろう、と想像した。

新しいスタートラインにやっと立った。

おばあちゃんではなく、家族全員がこれからの生活のためのスタートラインに立ったのだった。

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2007年7月11日 (水)

6ヶ月の休憩中にまた?

4週間おきに6ヶ月注射を続けた。

そして、筋腫は半分の大きさにまで小さくなった。それでも、6センチ四方はある。

このままの状態でいてくれたらいいけれど・・・。

ところが、半年の休憩中にまた元の大きさにまで戻ってしまった。

「切るのは簡単ですよ。でも、あなたの場合は、頭も手術しているからメスは入れたくないなあ」

(先生、下から引っぱり出す方法もあると聞いたのですが)

「こんな大きな筋腫は出せません。出産と同じですよ」

私はガッカリ・・・結局、また6ヶ月間の注射をすることになった。

2クールめである。 今度こそ、の願いをこめて1万円の注射をする。

先生の言葉が印象的であった。

「お年のわりには、元気な子宮ですね」

すなおに喜んだほうがいいのだろうか?

複雑な気持ちで家に帰った。

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2007年7月 3日 (火)

原因をはっきりと!

ある医院で、貧血の治療をしていた。

血液検査の数値が「とても正常な人の値ではない」と言われて、1日おきに鉄分を注射していた。

普通の人なら、5本~10本でまともな数値に上がるらしい。

ところが、私の場合は正常な血液になるまでに20本の注射が必要だった。

「胃カメラを飲みますか?」

エエ~? 胃は何ともないんだけどなあ。

でも、先生がおっしゃるからには飲むとするか。

「とても綺麗な胃ですね。どこも悪くないですよ」

(ほら見たことか! だから、どこも悪くないって言ったじゃないですか)

それじゃあ、半年毎に血液検査をして貧血の治療をしているのは何故?

その後、私も病気をしたりして子宮ガンの検診を受けていなかった。

いつも行っている総合病院で、ついでに子宮ガン検査を受けた。

な、なんと! 夏みかん大の子宮筋腫があるという。

これが原因で貧血になっているらしい。

女性として思いあたることもある。トホホ・・・しょげるしかない。

でも、まさか・・・そんなに大きく成長しているなんて思いもしなかった。

「安心してください。良性ですから」

その日から、さっそく1本1万円以上もする注射をすることになった。

必ず、4週間毎にすること。6ヶ月間の注射で6ヶ月間の休みをとること。

これを1クールというらしい。

そして、また6ヶ月注射をする。その繰り返しで子宮筋腫が小さくなるという。

帰って夫に言った。

「私ってラッキーやわ! 子宮に筋腫が出来ているけれど良性だってよ」

「ダラ(バカ)か! なにがラッキーなもんか! そんなもの出来ない方がいいに決まっているやろ」

そういえばそうだ。 前向きにも程がある!

あ~あ、保険のきかない注射に通わなければならない。

これで、脳外科と婦人科・・・ついでとはいえ、病院通いも辛いなあ。

夏みかん大になるまで調べなかったのが悪かったなあ。

脳腫瘍に一生懸命になっている間に、こいつが太ったんやな。

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2007年7月 2日 (月)

放射線治療したのに・・・

MRIで見ても、全く以前と腫瘍の大きさは変わらない。

なのに、先生は満足している様子だ。

「このままの状態が続けばいいね」

(エッ? これでいいのですか?)

「腫瘍は、何年もかかって大きくなったものだから急に小さくはならない。焦らないで年単位で考えたほうがいい」

(年単位ですか? 私は、放射線のおかげですぐに小さく消えていくと思っていました)

ああ、○○ナイフという言葉に騙されたなあ。

フルーツナイフみたいなもので、スパッと切るイメージだった。

これにはショックだった。

何年もかかって大きくなったことは認める。でも、腫瘍が小さくなるのに何年もかかることに納得できない。

頭の中の居候とは仲良く付き合っていくしかないのだろうか。

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2007年7月 1日 (日)

頭を下げることの大切さ

野菜苗の生産も順調に進み、販売段階に差し掛かった。

種苗店の人も持っていくけれど、ハウスに直接、買いに来てくれる人も多い。

向こうの道路から車が入ってくる。あきらかに苗のお客さんだ。

わざわざ、遠い所まで買いに来てくださることに感謝をする。

というのは、わが家のハウスまで来る間に、何軒もの苗屋さんがある。

ホームセンターにも売っている。

それなのに、ありがたいことに遠くまで来てくれたのだ。

お客様には頭を下げたい!

ところが、私の頭は下げたいけれど、いうことをきかないのだ。次に上げる時にめまいがする。

この時ほど、頭をさげる大切さが身にしみたことはない。

いくらお礼の言葉をならべても、頭を下げたほどの価値はない。

今だからそう思うけれど、お客さんに慣れっこになってはいなかっただろうか?

買いに来てくれるのを「当然」と思ってはいなかっただろうか。

偉そうに、一人でここまで大きくなったと思っていなかっただろうか。

私は、頭を下げれない2年間の間に「わが家をここまでにしてくれたのはお客様一人一人の力」だとわかった。

頭を下げることの大切さを知った。

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