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2007年8月の15件の記事

2007年8月30日 (木)

いったい母に何が?

「人工呼吸器はもういいです」

「今の日本では認められていませんから」

まったくムダな”脳挫傷の点滴”をつけられた母。いや、ムダではないかもしれない。

もしかして、奇跡が起きる可能性もある。

おしっこは、血の混じった真っ赤だった。

内臓が潰れている証拠だった。ポタポタと管から落ちている間はまだいい。

やがて、そのポタポタもなくなった。

溜まっていたおしっこが出てしまったのだろう。

とたんに顔にむくみがきた。

もう時間の問題だと看護師さんはわかっているのだろう。

”脳挫傷”の点滴をかえる手つきも重々しかった。

運転中にいったい何が起きたのだろうか?

ひとつも言葉を残さず、痛いとも言わず・・・本当は、それが知りたかった。

「おかえりのご用意ができましたよ」

さあ、家に帰ろうか!

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2007年8月28日 (火)

夢心地

「ここでは駄目だから、もっと大きな病院へ」とよく言われる。

そんな時には、「あの人は助からないんだ」と思ってしまう。

だけど、今度はわかった!

助かる見込みのある人のみ、遠くても大きな病院に行ってしまうのだ。

母のように、どこに行っても手当ての仕様がない場合は、そのままの状態で最期まで見ているしかないのだ。

「人工呼吸をつけても2日ともたないでしょう」

先生は、冷静にそう言った。

私たち親戚一同は、奇跡でもおこってくれないかと願うだけだった。

もし、奇跡が起きたならば・・・私は、全面的に神様を信じる!

・・・でも、先生の予言どおり1日半で母は他界した。

私は、待合室で倒れこんだ。まわりが葬儀の話をしているのを遠くで聞いていた。

自然と涙が出てきて止まらない。

声も出なくて涙だけが出てしまう。

夢の中で、私が手術をした後に母が「よく頑張ったね」という声を思い出した。

夢なら覚めないで!という言葉があるが、私は夢であって覚めて欲しいと思った。

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突然の電話

それは弟からだった。

「母ちゃんが事故った! 命が危ないらしい」

私は50何年か生きているけれど、交通事故の電話を受け取ったのは初めてだった。

母は午前中に歯医者さんに行って、家に帰る途中の出来事らしい。

あと5分も走れば家に着く。

そうなのだ。母は、運転中に何かが起きて電柱にぶつかったのだった。

おそらく、くも膜下出血だろうと思うが本当のところはわからない。

うんと左端によって、止まろうとしたのだろうか。

でも、ブレーキの跡がない。 母の車は、ぶつかった衝撃で歩道に入った。

外傷もないから、何人かが同じ道を通っているのだけれど「気分が悪くなって休んでいるのだろう」程度にしか思わなかったそうだ。

命が危ないって? 死ぬかもしれないってこと?

半信半疑で病院に向かった。

親戚の人や近所の人が集まっていた。

ここで初めて、「ウソではなかった!」と気がついたのだった。

そんなバカなことってある?

もうすぐ娘の結納で、床の間の掛け軸を借りに実家に行ってきたばかりなのに・・・。

母と一緒に選んだ掛け軸が床の間に吊るされている。

私は、足が震えた。

少し遠いけれど、私の脳腫瘍を手術してくれた先生のところに連れて行ってほしかった。

でも、もう死んでいるのも同じこと、と言われた。

人口呼吸器でいかにも息をしているかのように見えたが、実際は母の力ではなかった。

シートベルトもつけて、エアバッグも出て・・・外傷もなく、それなのにどうして?

先生は、脳と内臓が潰れている、と言った。

「鍋の中に豆腐を入れて落とすと、鍋は潰れないけれど豆腐は潰れる」

なんとわかりやすい説明だろうか。

いろいろと病名を言ってくれたが、この説明がいちばん理解できた。

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2007年8月25日 (土)

アイデアがいっぱい

わが家が朝市に出店していることで、何かいい売り物はないかと毎日のように考えている。

それがとても楽しいのだ。

私は商売っけがあるのか、アイデアがよく浮かぶ。

失敗したのもあるし、成功したのもある。

失敗したことを暴露しよう!

まだ牛乳ビンのフタが紙製だったころ、野菜の種を丸いフタにくっつけて「種ブローチ」にした。○の外側から種を接着剤でくっつけていく。

最後は、アズキをのせて花の芯にする。

裏は安全ピンをつけてブローチに、またチェーンにぶら下げてネックレスに・・・と商品はたくさんできた。

でも、ここで問題が発生した。

うちは農家である。しかも、野菜苗を生産・販売している。

種は、全品種を種苗会社から買っている。

種ブローチの種は、自家製野菜からとっている。

それが誤解を招くのだ!

「もしかしたら、野菜苗の種も自分でとっているのかもしれない」

そう思われても仕方がない。

いろいろと考えて相談した結果、やっぱり種ブローチは諦めることにした。

残念だなあ~。 観光客に売れると思ったのになあ。

実際、売れ始めていたし、箱(ケース)をどうするか・・・などと心配しはじめていたのだ。

アイデアがあっても、ダメなものはダメか!

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2007年8月20日 (月)

母には内緒の話

ほとんど何でも話している母に内緒にしていることがある。

頭の手術の後のことだ。

母は、私と同じ病気で手術した人を知っている。

最初は頭で、その次が子宮。そして、3回目がおっぱいである。

私のことをひどく心配している母には、とても子宮筋腫のことは言えない。

「そらみたことか」と言われるに決まっている。

いまだに、病気になったのは農業のせいだと思い込んでいる母。

私がハウスに入っていないかどうか、抜き打ち検査に来たりする。

10年目にして、再度、頭の手術をした人も知っているらしい。

私は5年目に入っている。

絶対に農業のせいではない! このことを実証するためにも身体の異変のことは内緒にしておくべきだ。

グチグチと言われるのも面倒だしね。

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2007年8月17日 (金)

パパの海外研修

「ヒマな時にちょっと行ってくるから」

農家にヒマという言葉は無いけれど、冬の間はどちらかというとヒ・マかな?

仕事量は、春や夏の3分の1程度。

雪が降れば雪すかしもあるけれど、ここ何年間かはスコップを持ったことがない。

それほど雪は降らないということだ。

ベトナムとカンボジア・・・1週間か・・・なんとかなるだろう。

ハウスの中には、野菜の芽があがっている。それの管理はどうするのだろう。

いつもは、私にメモ書きとともに口頭で嫌というほど教えて行く。

だが、今回は私には全く教えない。全部、息子に教えている。

パパは息子に賭けたのかも知れない。

さあて、パパの思うとおりになるかな?

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2007年8月16日 (木)

左の耳が難聴

左右の耳の検査をしても、やっぱり左耳がおかしい。

右耳の3分の1ほどしか聴こえていない。

あんなに水(脊髄液)が溜まっているのだから、振動もあったものじゃない。

頭も重いし、トンネルの中でツーンとする状態がいつも続いている。

先生は、なんとか薬で治したいらしい。

「少し空気が入ってきましたねえ」と嬉しいことを言ってくれるが、鼓膜に水があたっているのがわかる。

もうしばらく、もうしばらく・・・と薬で頑張っていたけれど、やっぱりダメだ。

半年たっても良くならない。

脳外科の先生は、「原因をはっきり調べようか」とやっと言ってくれた。

私は、「頭蓋骨がヒビだらけになっているのではないですか?」と聞いたからだった。

頭の中には、牛乳ビン3本くらいの脊髄液が入っているらしい。

常に製造されながら残っているらしいのだ。だから、少しくらい水もれがしても大丈夫だというわけだ。

実は、耳だけじゃないのだ! ノドの奥にも垂れてきているのを感じるし、鼻水となって出ているのも感じる。

牛乳ビン3本分には程遠いけれど、こんなにもれていると心配になる。

ひとつひとつ調べて治すしかないね。

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2007年8月15日 (水)

耳がなんだか変?

いつものMRI検査で、「耳鼻科に行きなさい」と言われた。

はっきりしたことはわからないけれど、その足で耳鼻科に行った。

「左耳に水がいっぱい溜まっていますよ。水抜きをしましょう」

脳外科の先生は、「中耳炎のなれの果て」と言った。

水抜き? 麻酔をかけて鼓膜に穴を開けて抜くらしい。

ドキドキしながら、されるがままに別室へ・・・。

耳の麻酔は、30分間ほどかかる。液体を入れて横になっていればいいらしい。

いよいよ麻酔がかかったようで、プチ手術にGO!

水抜きが始まってすぐに、耳鼻科の先生は驚いていた。

「これは、頭の脊髄液だ!」

ということは? 脳の髄液が漏れてきている、ということだ。

中耳炎になった覚えもないし、「なれの果て」なんて変だと思った。

溜まった髄液を抜いてもらったおかげで、頭が軽くなった。

というわけで、耳鼻科も通うことになってしまった。

先生の予想では「また溜まるでしょう」だった。

半年間、薬で様子をみましょう。 溜まれば抜きましょう、と聞こえたのは耳のせい?

不思議なことは、頭の右を手術したのに耳の異常は左であること。

どうなっているのでしょうね。

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2007年8月14日 (火)

4年目になってやっと!

私の脳腫瘍も4年目に入った。

6ヶ月毎のMRI検査で、「少しは小さくなったかな?」程度の動きが見られた。

どうしても触らない方がいい部分に残してある居候殿。

小さくなったのもわからないほどの微妙な変化。

先生が以前に、「月単位で考えないで、年単位で考えてくれ」

そして、「大きさに変化がないのは、放射線が効いている証拠だ」と言っていたのを思い出した。

なるほど、大きくならないというのは良いことなのだった。

私は、「ずいぶんと時間がかかりましたね」と言った。

「この調子でいってくれたらいいね」

先生も私も心底、喜んではいない。残りの腫瘍ちゃんがいつ暴れ出すかわからないからだ。

でも、今回はとにかく喜んでおこう。

次回のMRIでもっと小さくなっていることを願うのみ。

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2007年8月10日 (金)

消せないメールアドレス

考えてみれば、「何かあったら電話するからね」というのは無理な話だ。

電話できるほどならいいけれど、本当に何かあったら連絡のとりようがない。

私からの携帯もたぶん出れないだろう。

あれから1ヶ月。ずいぶん待ったけれど、なんの音沙汰もない。

しびれを切らした私は、大阪の病院に電話をした。

「○月○日までは入院していましたが、その後のデータはわかりません」

(どこか他の病院に変わりましたか?)

「さあ、はっきりしたことはわかりません」

病院側は、個人情報を流さないようにしているのだろう。

その気持ちもわかる。でも、私が知りたいのは、宮ちゃんがどうなったか!たったそれだけである。それくらい教えてくれても良さそうなものを・・・。

もしかして、他の病院に移ったかもしれない。

まさかの気持ちでマンションに電話をしてみた。

留守電だった。

携帯電話は・・・電源が切られていた。

あの時はまだ元気だった。私も経験があるけれど、お見舞いの人が帰ったとたんに体調が悪くなるのだ。

きっと宮ちゃんもそうだっただろう。最後の元気を振り絞って私と話をしていたに違いない。

待っても待っても連絡もなし。

もしかして・・・と思うと、メールアドレスを消す気持ちになれない。

「元気にしてる?」ときたら「なおったんやね」と返信しなければね。

私たちは不思議な友達だった。

宮ちゃんのことは、京都のお寺のお嬢さんだということしか知らない。

お互いに詮索しないで付き合ってきた。

同じ会社でタイプ室にいた時からがスタートで、過去のことはどうでもよかった。

しつこいようだけど、今度は往復はがきを出そうと思う。

返ってきたら「ラッキー!」

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2007年8月 9日 (木)

それじゃ またね

ちょうどお昼ごはんの時間で、どの病室にも昼食を配る気配がしてきた。

もちろん、宮ちゃんの個室にも・・・ところが、見てびっくり!

とても、食べれる量ではないし、おかゆではあったけれどおかずは普通食そのものだった。

宮ちゃんは、空気を吸うだけでも吐き気がするらしい。だから、ご飯の匂いなどとんでもないことだ。

食べることができないことはわかっている。

「のんちゃん、嫌じゃなかったら食べてくれる?」

私もお腹がすいていたから、南蛮漬けのおかずでおかゆを食べ始めた。

その間も、宮ちゃんの吐き気は続いていた。

私も経験があるけれど、吐き気のある時は何をしてもダメ。

背中をさするなんてもってのほか。 そうっと一人にしておいてくれたほうが楽という言い方は変だが、かまわないでいてくれたほうがいいのだ。

それを知っているから、ゲボゲボもよおしている傍らで昼食をたいらげた。

絶対にこのご飯はおかしい。

人生のステージ4に立っている人のご飯ではない!

宮ちゃんは、吐き気をもよおしながらも看護師さんに私との関係を説明していた。

「時間やから帰るね」「何かあったら私から携帯するから、それまで電話してきてもとれないから・・・」

帰り際、宮ちゃんは握手を求めた。精一杯の力で私の手を握った。

「それじゃ またね」 

いつもの別れの挨拶をかわした。

帰りの電車の中。 メールが入った。

「今日は来てくれてありがとう。のんちゃんも身体に気をつけてね」

あの身体でこれだけのメールを打つのにどんなにしんどかったことか。

携帯電話でさえ持てない体力だと感じた。

それじゃ またね!

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2007年8月 7日 (火)

「宮ちゃん、どこにいるの?」

たしか、宮ちゃんの病院は新大阪に建て直して引越ししたはず。

今まではマンションから歩いて通院できたので、「新大阪まで行くのがしんどいわ」と言っていたのを思い出した。

間違いなければ、大阪K病院のはず。

新大阪の駅も広い。出口を間違えばとんでもない方向に行く。

大阪K病院は、新しいので駅内の地図には載っていなかった。

いちばん答えられそうな警備員らしきおじさんに聞いた。

私は、北口に走った。出口からすぐ見えてドーンと病院があった。

何階かもわからない。病名を言って、「たぶん、この病気で入っていると思います」

走らないで下さい、の病院の中を競歩のごとく急いでたどり着いた。

思ったとおり、ベッドに横たわっていた宮ちゃん。

「なんや、のんちゃんか。 どしたん? あいかわらず急に来る人やなあ」

どうしてここまで着たのかを聞いた。

「お姉ちゃんに電話したんや。二人でタクシーに乗ってきてん」

宮ちゃんの腕や顔にアザがある。 トイレに行こうとしてころんだそうだ。

「もう何もできへんねん。お姉ちゃんに電話するのがやっとやったわ」

以前、宮ちゃんは「死ぬ時は誰にも迷惑かけたくない」と言っていた。

(そんなこと、できへんって。生まれる時も死ぬ時も誰かの世話になるようになってるのよ)

「私、今のマンションのローンもあと少しだから、お姉ちゃんにあげようと思うねん」

ふ~ん、最後は姉妹が仲良くなればいいものね。

なんだか、いそいそと旅行の準備でもしているように感じた。

行き先は・・・先に行って待っている正夫さんのところ!

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2007年8月 5日 (日)

どうしたというのだろう?

こうと決めたら実行するのが私の良いところであり、悪いところでもある。

朝の薄暗い時間に起きて身支度をする。

仕事だと朝寝坊するのに、こんな時はどうして早く目がさめるのだろう。

余裕をもって1番のバスに乗ることができた。

金沢駅からは、サンダーバードの自由席。

平日だからゆったりと座ることができた。この調子でいくと、10時半には大阪に到着するだろう。

宮ちゃんのあの電話は何だろう?

ただ事ではないと思う。

新大阪から5分程で大阪駅に着く。

私は、昔の記憶をたどりつつ「中津駅」まで行った。

それほど苦労しなくても、大阪の地に立つと大阪人になってくるのはどうしてだろう。

宮ちゃんの以前のアパートは知っている。

でも、今は引越しをしてマンションに住んでいるのだ。

私はマンションまでの地図を知らない。年賀状の住所を頼りに歩くけれど、もう1歩というところで見失う。

「なんでや? 番地は隣まできてるというのに・・・」

同じ所をグルグルまわっているうちに郵便屋さんに出会った。

(ようし! この人なら確実やわ)

エエッ!! あそこがそうなんですか?

大阪の人は親切だ。 建物を指差しながらも私についてきてくれた。

どうもありがとうございます。 玄関先まで送ってくれたポストマン。

そのマンションは、すばらしく豪華であった。私は、この建物のまわりを行ったり来たりしていたのだ。

宮ちゃんがまさかこんなにすばらしい所に住んでいるとは思わなかった。

玄関・・・玄関・・・田舎者の私は、1階の入り口近くで迷っている。

なんと、部屋の中の人がOKを出さないと建物の中にさえ入れないらしい。

「すみません、この人の玄関先まで行きたいのですが」

何度お願いしてもダメだった。

せっかく来たのに、宮ちゃんのお部屋の玄関までも行けなかった。

・・・ということは? もう部屋にいないってこと?

私は、胸騒ぎがして駅まで引き返した。

初夏とはいえ、暑い暑い大阪だった。

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便りがないのは元気な証拠・・・は嘘だった!

わが家の忙しさを理由に、宮ちゃんとの近況報告が遅れ気味になっている。

何も言ってこないのは元気でいる証拠だろう。

そう思いこんでいた。

でも、なんとなく気になって「元気にしてる?」とだけ、メールを入れた。

「ボチボチやねん」と返事が来る。

「ボチボチ」って、「まあまあ」のこと?

私も私で、「まあまあなら良しとしよう」とまたメールした。

いつか宮ちゃんが元気なうちに大阪にいかなくっちゃね。

行っても食事はまともにできないだろうな~。

マンション見たいけれど、宮ちゃんが気を使うだろうからホテルに泊まるとするか。

いろいろと想像が膨らむ。

いつ会おうかな? 60歳までに・・・な~んて遠すぎるわ。

毎日、大阪行きのことを考えて仕事をしていた。

そんなある日。

「自分の身体を面倒見切れない」というメールがきた。

わざわざ、こういうことを知らせるなんてよっぽどのことに違いない。

私は、来るべき時が来た! そう思った。

トイレにも行けないってこと?

ここで考えていてもどうしようもない。

とりあえず、明日の早朝に大阪に行こう!

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2007年8月 4日 (土)

親離れと子離れ

息子の海外研修は、私たち親子にとっても研修だった。

いかに、子供を突き放すことができるか・・・それを確かめられているようだった。

父親はそうではない。心配しているのだろうけれど、口には出さない。

母親は、1日たりとも息子のことを気にしない日はなかった。

もう大人なのだから、いい加減に口出しするな! ということはわかっている。

でも、息子は「オレはまだ○○歳なんだぞ」と年若いことを武器にして責任のがれをしようとしている。

この親子はどっちもどっち!

この1ヶ月でお互いに成長したことは確かである。

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